一月十~十四日
宗家 初釜
二月二十八日
宗家 利休忌茶会
三月春分前後
宗家 御相伝式
四月前半
京都・平安神宮 観桜茶会
四月十六日
京都・平安神宮御献茶式(3年毎)
七月一三日・一五日
宗家 盆 迎え火・送り火
八月第三週
宗家 夏期研究会
九月最終日曜
東京支部正会員研究会
十一月四日
狐峰不白忌茶会
十二月第二日曜
護国寺 慈善茶会
十二月三十一日
宗家 歳暮釜・除夜釜

内弟子となり、寛延3年、32歳で江戸に帰るまで、如心斎の側近で修行し、かつ共に大徳寺大竜和尚に参禅したり、不白ただ一人だけが如心斎に許されて、その肖像画を描いたり、七事式制定に深く参画したりするほど師・如心斎の信頼を得ていた。 江戸帰りの直後、冬木家所蔵の「利休遺偈」を如心斎に引き渡したのも不白の力によるものであった。江戸での57年間の不白の活躍はめざましく、老中田沼、老中太田備中守、旗本森山孝盛、大名では島津、毛利、池田、南部はじめ多数、大町人青地宗白、狩谷掖斎その他江戸の茶道界を千家茶道に改流させた観があった。だからその門人から多くの分流が出来た。 しかし、現在、川上不白の血脈正脈の宗家家元は、弥生町の川上閑雪宗匠である。私は、「初代不白時代の懐石」執筆に当たり、不白の会記と如心斎の会記に記された懐石が瓜二つのように酷似しており、その懐石料理が先代宗鶴宗匠にそっくり伝わりそれが閑雪家元と翠鶴家元夫人に完全に伝承されているのを目のあたりにして驚嘆した。 すべてがかくのごとくで、私は茶道という日本の伝統芸術の生きた歴史の重みを弥生町で体感した。

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