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2017年12月10日 第五十一回護国寺慈善茶会

2018年04月20日(金)

前週の「茶筅供養」同様、師走の恒例茶会であります護国寺様主催(後援:読売愛と光の事業団)第五十一回「慈善茶会」が十二月十日に行われ、本年もお家元が〈艸雷庵〉にてお席持ちをされました。
「茶筅供養」の折には色濃い紅葉が目を楽しませてくれましたが、たった一週間で境内は様変わり。特に今年の師走は例年になく寒さが厳しく、境内のネコたちも日向を探しては数匹が固まって寒さを凌いでおりました。快晴ながら寒気の強い一日、寄付に入られたお客様に供せられるのは慈善茶会ではお馴染み、蒸かし立ての「蕎麦饅頭」(半田松華堂製)であります。毎年その湯気と香りにホッとする瞬間です。また寄付の床の御軸は森村宜永筆「歳の暮」とある鮭の画。いよいよ年の瀬かと感じ入りました。
当日は若宗匠がお点前を務められ、お家元も毎回御挨拶に。床の御軸はご流祖筆「松の画讃」
折節の花ももみじも松かえの
千歳の内の常盤にやみん
円座に木瓜口のような変わった形の尹部焼の花入には寒菊に南京櫨というこちらも珍しいお取り合わせ。香合は来年への掛け橋の意味を込めた仁清写の結び香合。一元斎の箱書が添っておりました。
立派な阿弥陀堂釜は鐶付の下にご流祖の花押があることから古浄元の作ではないかと。また正面には牧牛庵、裏に常住と鋳刻されており、牧牛庵という茶室の常住釜であろうと推測できますが、その牧牛庵とご流祖については記録が残っていないとのこと。炉縁は大徳寺山門(金毛閣)の古材。水指は瀬戸の渋紙手。茶器は時代の根来塗の薬器で盛岡藩主南部家の伝来品。朱色の美しい茶器でした。
主茶盌はご流祖手造、備前焼の銘「泥亀」。御銘の由来は荘子の「尾を泥中に曳く」の故事から(荘子が楚王に仕官を求められた時、「亀は殺されて亀卜に用いられて珍重されるよりは,泥の中に尾を引きずってでも生きたいだろう」と言って断ったという故事/『大辞林』より)。とても重厚感のあるお茶盌でした。替茶盌は佐久間将監の箱書には高麗三嶋手とありましたが、歳末のお茶会らしく今回は暦手とされておりました。そもそも三嶋手の由来はその文様が三嶋神社頒布の暦に似ていたことから名が付いたとも言われております。
茶杓もご流祖の作で共筒に
削り置竹の茶杓のかひあらば
我が浮の世をすくい給えや
とある歌銘。「櫂」と「甲斐」、「掬う」と「救う」が掛け言葉になっておりますが、何度も読み返すうちに滋味が感じられてくる一首でした。そして建水がこれも珍しい備前・緋襷のカヤ壷――と、ここまで御紹介してきてお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、今回のお道具組の特徴の一つとして、花入、主茶盌、建水に備前焼三種が揃ったところにあり、尹部や緋襷などそれぞれの特徴がひと目で分かり、大変に親しみやすく学ぶことができました。
歳末のお茶席らしい風情とともに、備前焼三種を並べて比較するという楽しさを込められた一年を締め括るに相応しい「慈善茶会」〈艸雷庵〉のお家元席でありました。
〈当日の会記〉
平成二十九年十二月十日(日)
音羽護国寺艸雷庵
主 江戸千家宗家家元
川上閑雪
寄 付
床 森村宜永 歳の暮 鮭の図
本 席
床 流祖 松の画讃
折節の花ももみじも松かえの
千歳の内の常盤にやみん
花  寒菊 南京櫨
花入 尹部 木瓜口耳付
香合 結び 一元斎箱
釜  阿弥陀堂 牧牛庵常住
炉縁 大徳寺古材
水指 渋紙手
茶器 根来 薬器 南部家伝来
茶碗 備前 銘 泥亀 流祖箱
替 暦手 佐久間将監箱
茶杓 流祖 歌銘
削り置竹の茶杓のかひあらば
我が浮の世をすくい給えや
建水 緋襷 カヤ壷
蓋置 流祖 在判
御茶 松の齢 味岡松華園詰
菓子 蕎麦饅頭 半田松華堂製
器 黒 縁高
以上
(「孤峰―江戸千家の茶道」平成30年1月号より)

〈艸雷庵〉ご流祖筆「松の画讃」
〈艸雷庵〉お点前をされる若宗匠
〈艸雷庵〉花入
〈艸雷庵〉主茶碗
〈艸雷庵〉建水


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