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2018年10月4日 生誕三百年記念 第二百十二遠忌「孤峰不白忌」大徳寺塔頭 聚光院

2018年11月19日(月)
ご流祖の遺徳を偲ぶ「孤峰不白忌」は例年十一月四日に御宗家にて営まれておりますが、本年は十月四日に大徳寺塔頭・聚光院様で執り行われました。来年ご流祖の生誕三百年を迎えるにあたり、その先触れとなる意義深い「孤峰忌」となりました。
聚光院は利休居士のお墓や三千家歴代の菩提所として知られておりますが、そもそもは戦国大名・三好長慶の養子義継が永禄九年(一五六六)に養父の菩提を弔うために大徳寺第一〇七世笑嶺宗訢を開山として創建されました。笑嶺和尚が利休居士の参禅の師であったことから檀越となり、自らの墓所ともされたそうです。通常は非公開のお寺ですが、今回特別のお計らいをもって御墓所のお参りができたことは何よりも有難く、御参列の方々は茶会開筵中に随時墓参されておりました。
孤峰不白忌追善法要
御 導師 聚光院御住職 小野澤虎洞御老師
御供茶 江戸千家宗家蓮華菴家元
川上閑雪 勤仕
於 聚光院 本堂
茶 会
寄 付 本堂 檀那の間・衣鉢の間
濃茶席 桝床席
薄茶席 本堂 大書院・礼の間
点心席 新書院 泉仙 調進
当日は朝から曇り空、後に小雨が降る生憎の天候でしたが、御法要開始時刻よりもかなり早い時間帯には本堂は全国より御参集の大勢様で一杯に。また東大寺長老・上野道善猊下、法華寺御門主・樋口教香尼公様はじめ多くの御来賓の方々も御参列下さいましたので、堂内は既に張り詰めた空気に包まれておりました。
〈追善法要〉は午前九時より。大太鼓の音が鳴り響くなか、御導師である小野澤虎洞御老師が入堂され曲彔に着かれますと、既に控えておられたお家元が進み出られて御供茶点前をお勤めになりました。正面には御本尊釈迦如来像、その左側に三好長慶木像、さらに左には利休居士御像、そして御本尊の右には御宗家より運ばれたご流祖御像の四像が祀られておりました。初めに点てられた濃茶は半東の若宗匠によってまず利休居士御像に供えられ、次いで薄茶はご流祖御像にお供えされました。
お点前を終えられたお家元は御本尊前に座されて深く合掌。続いて小野澤御老師様が立ち上がり読経を始められますと、これに合わせた堂内の僧侶方による大きな読経の声が周囲に響き渡ってゆきました。やがて読経が終わり、御導師はじめ僧侶方が御退出になりますと、お家元がお立ちになって御参会の御礼と本日のお茶会についての御挨拶をされ、記念すべき「追善法要」も滞りなく終了。御法要後は参列者の方々による御焼香の列が長く伸びておりました。
なおこちらの本堂は、本来四十八面の障壁画に囲われた方丈で、障壁画は狩野松栄・永徳父子によるもの。しかもすべて国宝(但しオリジナルは京都国立博物館に寄託中で設置されているのは高精度の複製)。また方丈前の庭園も「百積の庭」と呼ばれ国の名勝指定を受けておりますが、永徳の下絵による利休居士の作庭と伝えられております。
続いてお茶会の御報告になりますが、その前に濃茶席のお茶室について御説明しておきます。
本堂の右手奥にある切妻造の書院には閑隠席、枡床席、水屋、六畳二室からなる茶室が作り込まれており、国の重要文化財指定を受けております。まず本堂寄り(西側)の「閑隠席」は利休百五十年忌(寛保元年〔一七四一〕)に際し如心斎宗匠が寄進されたものですから、御流儀のとりましても御縁の深いお席であります。当日は手前の六畳からの拝見のみでしたが、内部は三畳敷で奥の一畳が点前座に。中柱を立て炉は台目切り、床は下座床で墨蹟窓があいております。〝簡素なため一見平凡に見えるが構成は実に端正で些かの揺るぎもなく安定感に富んでいる〟とは中村昌生先生の御著書からの引用ですが、巻頭グラビア写真の通り、仄暗さの中に茶の湯の美が凝縮されたようなお茶室でした。
〈濃茶席〉は水屋を挟んで東側の「桝床席」(および手前の六畳間)に設えられました。広さは四畳半、北西隅の半畳を床の間にし、この踏込床が正方形(枡形)であることから「桝床席」の名前が付いたと。炉は床の間に接した向切りで、風炉先にあたる床脇壁の下方を吹抜き、その上には下地窓。覚々斎原叟のお好みと言われております。この〈濃茶席〉ではお家元がお点前をされ、峯雪先生が半東を務められました。
床の御軸はこの日のお席に相応しいご流祖筆「利休居士茶観」。〝瓶花如在野〟から始まるいわゆる「利休七則」の内の四つにご流祖がアレンジを加えて書かれたものだとお教えいただきましたが、〝右利休翁茶観 應人求書〟とあることから、人に求められて書かれたと想われます。象耳付色絵銅の花入は珍しく形も独特。お花は磯菊。宝珠型の独楽香合には江戸千家らしい洒脱さが感じられ、お客様方にも大好評でありました。
なお、「閑隠席」は拝見のみとはいえ床の間は飾られて、御軸は啐啄斎の箱書が添う利休居士宛の古渓宗陳筆「書状」。表装も美しい貴重な御軸が拝見できました。ご流祖作の寸胴花入は銘「俵」。お花は竜胆にブルーベリーの照葉。「閑隠席」の雰囲気に合ったお取り合せでありました。
土風炉にはお家元ご丹精の鱗灰。毎回お客様からは感激の声があがります。釜は名越浄味作「東陽坊釜」で箱書はご流祖筆。水指は木瓜型の備前・伊部焼。茶入はご流祖作の赤樂で銘「六祖」、箱書には「八十三 不白」とあり驚かれる方も多くいらっしゃいました。仕覆は間道。茶盌は高麗三島で、塗箱に金字形で「ミしマ」とある箱書は大徳寺五一九世・明堂老師の筆。出袱紗は龍紋唐草緞子。茶杓はご流祖作、銘「拂子」。竹の蓋置は一元斎の作。菓子は白菊をイメージした末富製のきんとん。
〈薄茶席〉は本堂の右側にある大書院・礼の間を大きく活用されました。なお礼の間の障壁画は狩野松栄筆「瀟湘八景図」。こちらではお点前を若宗匠が務められ、半東には智大様が入られました。
床の御軸には孤峰忌では恒例のご流祖筆「凡聖同居」「龍蛇昆雑」の三幅対が掛けられ、花入はご流祖作の竹一重切で銘「案山子」。お花は白花杜鵑と山錦木、香合は蝶々の金蒔絵が施された時代の錫縁香合。落ち着いた美しさのある香合でした。
御供茶で用いられた真の台子にはご流祖好、高木治良兵衛作の唐銅皆具という設え。そして真形釜に桐地紋の透木風炉は名越弥五郎の作。
茶器は一元斎好の雪輪雪華紋蒔絵の大棗。主茶盌は樂五代宗入作、四代鶴叟箱書の銘「渋柿」。こちらは長次郎七種の内「木守」写の型。熟しきった柿を思わせる濃い色合が目に残ります。替茶盌は珍しい押印手の白薩摩。茶杓もご流祖作でお家元の共箱が添った秋らしい御銘の「落葉」。菓子は紫野源水製「山苞(やまづと)」。「山苞」とは山里からのおみやげという意があるとお聞きしました。
当日は本当に大勢様がお出ましになり、長丁場のお茶会となりましたが、終了後にはお家元はじめ御宗家の皆様が揃って利休居士の御墓所をお参りに。雨の中でお家元が心を込めて合掌されている御姿が何よりも印象深く心に刻まれました。
滅多に拝見できぬ聚光院様をまる一日かけて味わい尽くしたような贅沢な時間を過ごせた今年の「孤峰不白忌」。得難い経験ができたことに改めて感謝を申し上げたいと存じます。

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