トップページ > 2018年12月2日 茶筅供養と東京茶道会茶会(十二月)

2018年12月2日 茶筅供養と東京茶道会茶会(十二月)

2019年01月18日(金)
東京茶道会の「茶筅供養」が十二月二日、東京音羽・護国寺様において営まれ、お家元が御参列になりました。また例年通り当日は十二月の「東京茶道会茶会」も開かれ、江戸千家からは塚田宗静様が〈月窓軒〉にてお席主を勤められました。寒気も少しずつ強まってきた曇り空の日和でしたが、大勢様が続々とお見えになって、お席を楽しまれてゆきました。

茶筅供養

「茶筅供養」は今年も月光殿前庭に立つ〈茶筅塚〉前にて。お家元はじめ東京茶道会の各御流儀の宗匠方、そして門人の方々が多数ご参列になりました。
午前九時三十分、護国寺の僧侶方がおでましになり読経が始まります。やがて僧侶の方が最初に〈茶筅塚〉前にて茶筅のお焚き上げを始められ、続いて役員の宗匠方、そして各御流儀の関係者の方々が順次茶筅をくべ御供養をされますと、炎と烟が高く昇ってゆきます。御流儀からはお家元はじめ、埼玉支部長の塚田宗静様と東京支部の今野宗博様がご参加になり、茶筅塚に懇ろに合掌をされ、本年も「茶筅供養」が滞りなく終了、御供養の烟がいつまでも長くゆったりと流れておりました。

茶会

「茶筅塚」に面した〈月窓軒〉では御供養を終えたお席主の塚田宗静様が笑顔でお客様方をお出迎えに。境内の木々と同じく前庭の低木も濃く色付いている、そんな紅葉真っ只中の護国寺でしたが、お席の方はもう師走に入ったということで、しっとりと落ち着いた雰囲気のお道具組になっておりました。
床の御軸はご流祖筆の一行「星中一老人」。ここでの「星」は中国で言う「南極老人星」(カノープス)のこと。古来より伝説で寿老人の星と神格化されているそうで、新年に向けお客様方の長寿を祈念して掛けられたと承りました。これに合わせて花入もご流祖作の竹一重切で銘が「翁」。こちらには加茂本阿弥ときささげが生けられましたが、御流儀の方々にはお馴染みの「きささげ」も、他流のお客様には珍しいようで皆さんお席主のお話を聴き入っておられました。
さらにお尋ねが多かったのが香合で、「柿ですか?」との問いに対し、「眠り寒山」とのお答えにはいつも驚きの声があがっておりました。〝寒山拾得〟の寒山が笠を被り蓑にくるまって寝ている様を象っているとの御説明に、なるほど蔕に見えたのは笠だったのかと納得。永樂善五郎の見事な作はあまりに珍しい造形でしたので、グラビアにも掲載させていただきました。是非ご確認願います。
お釜は古浄味(名越三昌)作の「車軸釜」。口がかなり高くなっているのを牛車の車軸に見立てたとのお話。桐木地の大棚は「袋棚」。利休居士が(志野流の)香棚を好みに直したものと言われております。こちらに置かれた水指がまた逸品で唐草紋の染付。図柄、色合ともに優美で袋棚ともよく合い、伺ったところ古渡の染付とのことでしたから、これにも納得した次第です。金地に菊桐紋蒔絵が施された茶器は時代の平棗。華やかな作品が、長い年月を経たことで穏やかな美しさへ変化していったように感じられました。
主茶盌はご流祖手造の黒樂で銘「松島」。厚手で手強い感触はご流祖らしい作り。こちらは二盌一組とのことで、もう一方は赤樂の銘「象潟」。どちらも往古より風光明媚な歌枕の地であり、『おくの細道』で芭蕉が立ち寄ったことでも知られております。お会記に「高麗 こよみて」と記された替茶盌は暦手(三島手)茶盌。こちらも歳末らしく〝暦〟に因んで選ばれたとのこと。やや薄手で均整のとれた形、色合も素地の鼠色があまり濃くなく、主茶盌とはかなり対照的なところを面白く拝見しました。宙宝和尚作のお茶杓は銘「無事」。しみじみと一年を振り返りたくなる御銘であります。
その他のお道具組については以下に掲載します会記を参照していただきたいと存じますが、ひととき師走の慌ただしさから離れ、ゆったりした気分で御茶を頂いた〈月窓軒〉のお席でありました。
〈当日の会記〉
平成三十年十二月二日
東京茶道会茶会
於 音羽護国寺 月窓軒
江戸千家
主 塚田宗静
床 流祖一行
星中一老人 当代家元箱
花  加茂本阿弥 きささげ
花入 不白作 竹一重切
銘 翁 箱共
香合 眠り寒山 善五郎造
棚  袋棚
先 好 四ツ折
釜  車軸釜 古浄味造
大西清右衛門極
炉縁 一元斎好 真塗 大燈紋
水指 染付 唐草紋
茶器 平 時代 菊桐紋
茶碗 不白手造
黒 銘 松島 共箱
替 高麗 こよみて
茶杓 宙宝作 銘 無事 筒箱共
建水 高取 味楽造
蓋置 宝殿 七代蓮々造
御茶 好 寿泉の白 ほ里つ詰
菓子 風はな 清晨庵製
器 萩 おちば 新兵衛造
以上

1
2
3
4
5


  |  

▲このページのトップへ戻る