トップページ > 2018年12月9日 第五十二回 護国寺慈善茶会

2018年12月9日 第五十二回 護国寺慈善茶会

2019年01月18日(金)
「茶筅供養」の翌週となる旧臘九日の日曜日、師走の恒例茶会であります護国寺様主催(後援:読売愛と光の事業団)第五十二回「慈善茶会」が開催され、本年もお家元が〈楓の間〉にてお席持ちをされました。
まだ境内の紅葉は残っておりましたが、寒気は一週間でかなり強くなり、薄曇りの空模様でしたので、時折差す陽光の暖かさが有難く感じられた一日でした。
お席ではまずお家元が御挨拶をされてから、慈善茶会ではお馴染みの蒸かし立ての「蕎麦饅頭」(半田松華堂製)がお客様に。召し上がる皆さんの笑顔に接しますと、こちらも穏やかな気持ちになってまいります。しかし、蒸かし具合の調整などには毎回御苦労がある
ものと拝察いたします。
お点前は若宗匠が務められ、半東には峯雪先生が入られました。床の御軸はご流祖筆「花月の画讃」。花(花びら?)と三日月の画の下には次の一句
すみかけて廻すや年の点ておさめ
単なる「花と月」の画讃ではなく、「花月」の画讃ということから〈七事式 花月〉を連想できる方は、かなり御稽古を積んでらっしゃる方でありましょう。不勉強な当方は上の句を「炭欠けて」かなと考えておりましたが、「すみかけ」とは〈花月〉では最後の回に折据を斜めに置くこととの御説明でようやく納得。そうなるとこの御軸が歳末のお席に相応しいものと感じられてまいります。
ご流祖作の竹一重切の花入は銘
「巣父(そうほ)」。こちらは中国の〝許由(きょゆう)巣父〟の故事からの御銘。許由と巣父はともに伝説上の隠士で、尭帝から天下を譲るという申し出を聞いた許由が、耳が穢れたと潁水で耳を洗い落としていると、これを見た巣父がそんな穢れた川は渡れないと言って引き返したという内容の伝説です。世間での栄達や高い位を嫌う古代における理想像がここにはあり、古来より多くの絵画の画題になってきましたが、今回ポイントとなるのは巣父が橋を渡らなかったこと。後述する白織部の替茶盌には「橋の画」が描かれており、こちらには一年納めのお茶会において、来年への掛け橋の意が籠められておりますが、とはいえまだ十二月ですからと、〝橋を渡らなかった〟巣父銘の花入を使われた、お家元の洒落た御趣向でありました。お花は加茂本阿弥と葉付の蝋梅。
巴紋や花模様が型押しされた石見芦屋のお釜は珍しく、袋棚に水指は当代亀井味楽作の高取。一週間前に届いたばかりで今日が初使いという水指は艶やかで、歳末らしい杵型でした。
茶器はご流祖好、宗哲作の雪輪大棗。甲が平坦なのが特徴的で、こちらに三種の雪輪が金蒔絵で描かれておりました。
主茶盌はご流祖が菊と桐を描いた赤樂。厚味と迫力ある存在感から、まさしくご流祖手造だなと伝わってまいりますが、何よりも皆さんその重さに吃驚されておりました。替茶盌の先述の通り橋の画の白織部。
茶杓は啐啄斎作の銘「冬至」。実は如心斎写なのだそうで、その辺りの経緯は、当日飾っていただいた啐啄斎筆の共筒とご流祖筆の共箱によって明らかに。また一見青竹に見える蓋置は樂十四代覚入作の交趾写。
はじめに述べた御軸のお話は、〈七事式〉自体に馴染みのないお客様にはあるいは難しい内容だったかもしれませんが、そうしたことをお察しになったのか、お家元は拝見の時間には床の間前に進み出られて、改めてお客様方よりの御質問にお答えに。また、時にはお水屋から折据を取り寄せて解説して下さいましたので、多くの方々が恐縮しつつ大変に喜ばれておりました。
当編集部にとりましては一年締め括り「慈善茶会」でしたが、お家元の御懇切なご対応に唯々感服した〈楓の間〉のお席でありました。
〈当日の会記〉
平成三十年十二月九日(日)
音羽護国寺 楓の間
主 江戸千家宗家家元
川上閑雪
本 席
床 流祖 花月 画讃
すみかけて廻すや年の点て納め
花  蝋梅 加茂本阿弥
花入 流祖 竹一重 銘 巣父 共箱
香合 宋胡録
釜  石見芦屋 肩霰
風炉先 流祖好 四ッ折
炉縁  真塗
棚  袋
水指 高取 杵形 味楽作
茶器 流祖好 雪輪 大棗 宗哲作
茶碗 流祖手造 菊桐
替 織部 橋の絵
茶杓 如心斎写 啐啄斎作
銘 冬至
建水 砂張
蓋置 緑釉 竹形
御茶 千代の昔 味岡松華園詰
菓子 蕎麦饅頭 半田松華堂製
器 縁高
以上

1
2
3
4
5
6
7


  |  

▲このページのトップへ戻る