宗家初釜
一月十日〜
御宗家の初釜が今年も一月十日より始まりました。連日多くのご来賓の皆様やご社中の方々がご参集になり、初春の一日、ともに新しい歳をお祝いいたしました。
当編集部もお招きいただき、十三日正午にお伺いいたしましたが、ちょうど数日前から日本列島は歴史的大寒波に見舞われ、北日本では例年以上の大雪に。東京は底冷えが強いとはいえ快晴続きでこれは何よりも有難いことでした。
当日はお客様方より一足先に露地へ。冷気のなか陽光に映える敷松葉と青々とした竹が誠に美しく、新春に相応しく清々しい心持ちになります。
〈花月楼〉ではお家元、峯雪先生、智大様がお客様方をお出迎えになります。この日のお席には、正客に速水流御家元速水宗樂様、次客に織部流扶桑派御家元尾崎米栢様がお入りなりました。丁重なる新年の御挨拶を頂戴しましてから、お家元のお点前を拝見できますのも初釜〈花月楼〉での有難さでありましょう。半東を峯雪先生、お運びを智大様がそれぞれお務めになりました。
高坏のお菓子はこれも吉例、五色餡が華やかな御饅頭、末富製の銘「蓬莱山」。
金襴の石畳、宝尽くしの仕服に阿古陀形の茶入、そして樂九代了入作の嶋臺茶碗にお家元が丁寧に御濃茶を練り上げられてゆかれます。
茶杓は一元斎作銘「福寿草」。
床は吉例の飾り付け。ご流祖筆の双幅「千年丹頂鶴 萬年綠毛亀」には立派な御鏡餅が供えられ、金獅子の香合と如心斎好嶋台一対には無學宗衍筆のその由来書。間の柱には大きな海老のお飾り。そして脇床にはこれも立派な松に南天と二色の葉牡丹が生けられ、紅白の玉椿が入った青竹から長く枝垂れる結び柳も吉例の美しさ。
注連縄飾りの竹台子には朱桶の水指とご流祖好の菊桐文の皆具。置茶器は初釜らしく松葉と梅の蒔絵。お釜もご流祖好で浄元の作。大きな亀の鐶付、胴には円相に壽とあるお目出度いもの。炉縁は華やかな鶴の蒔絵。
御濃茶を頂戴しつつ、初釜のお道具組について、各ご流儀の違いや阿古陀形茶入の大きさについてなどの会話を楽しく拝聴。お席も寛いだ気分になってまいります。
改めてお家元より御挨拶を頂戴し、御案内を受けて皆様は三階〈広間〉点心のお席へ移られます。
〈広間〉では今年も若宗匠がお出迎えに。
着座しますと、まずは手許に置かれたご流祖好松竹梅の朱塗の引盃に若宗匠が御酒を注いで下さり、改めて新年の御挨拶とともに皆様方と盃をあげ迎春を祝しました。御膳は例年通り東京吉兆調進。峯雪先生も花月楼から移られ、若宗匠とともに御酒をお勧め下さり、御歓談の声もより賑やかに。誠に和気に満ちた〈広間〉席でございました。
御膳や御酒を十分に頂戴しますと恒例の福引となり、「福」と「禄」の札を引き当てたお二方には、それぞれお家元の書「鶯千林有好」「春色新」が贈られました。
若宗匠に御案内いただき二階〈担雪軒〉へ。翠鶴先生のお点前にて薄茶を頂戴いたします。
こちらではまず床の御軸を拝見。「米壽不白」とあるご流祖筆の御軸は干支に因んで「鶏の画讃」、
金鶏報暁五更前
「五更」とは一夜を五つ(初更~五更)に分けた際の最後の区分(午前三時から五時頃)、即ち戌夜とも寅の刻とも呼ばれる時間帯のこと。「金鶏」は天上に住む想像上の鶏。まず金鶏が暁を告げると多くの鶏がこれに応じて鳴くそうで、これで自ずと御軸の意味も分かってまいります。但しこの語句をもって、何事も先駆けて察知し行動を起こすべし、と説く向きもあるようですが、それは御茶には不似合いな御解釈かと……以上蛇足ながら。
青竹の花入にはつくばねと椿。香合も色鮮やかな鶏の香合。芦屋釜に炉縁は縞柿。春慶塗も美しい立派な紹鷗棚も久々に拝見できました。地袋には砂張の水指。一度仕舞われたものを御所望に応じて再度出して下さいましたが、実に落ち着いた色合。
茶器はご流祖が箱書に「老松割蓋茶入 覚々斎判」と記された蝶番付の割蓋がついた平形棗。表千家六代覚々斎原叟宗匠が山崎妙喜庵の老松から三十個作ったと伝えられております。
主茶碗はご流祖手造、菊桐紋の赤楽。替茶碗は表千家十三代即中斎宗匠の箱書に「永樂造 梅茶碗」とある乾山写。どちらも明るく文字通り春の訪れが感じられた二碗でありました。また茶杓もご流祖作で御銘もお目出度い「鳳凰」。
御菓子も〈担雪軒〉では恒例の鶴屋八幡製「紅白きんとん」。
座がほぐれた頃にはお家元も〈担雪軒〉に入られ、さらにお客様方と楽しく談笑を重ねておられました。その傍らで当方も実にのんびりした雰囲気に浸っておりましたがいつの間にか皆さん御退出に。席中お家元と翠鶴先生と三人だけになり、慌ててお道具組のことなどお訊きいたしましたが、御懇切なお答えには恐縮するばかり。
またお話の流れから、今では故人となられた宗匠方の思い出をお聞かせいただきましたが、一人で拝聴するのが勿体ないような、それぞれのお人柄が偲ばれる実に“いいお話”ばかりで感動を覚えました。いずれどこかで御紹介出来ればと思っておりますが、時を超えて亡き人たちとの会話が成立するのも御茶の一つの楽しみでは、と前々から抱いていた当方の勝手な思い込みが、あながち間違いではないと思えたこの日のお席。
しかしそれが成り立ったのもお家元と翠鶴先生の暖かなお人柄があればこそ。「何事も最後は人柄が大事」とお教えいただいたように感じつつ、暖かな心持ちで感謝を申し上げて、弥生町をあとにした今年の御初釜でありました。