不白手造 茶わん 銘 梅
不白は多くの手造り茶わんを残しており、そこには独自の境地を創出している。この「梅」は共箱の書き付けから中国より到来の陶土を使って作られたことがわかる。不白には清人との書簡往復の記録もあり、その御縁によって彼の地の陶土を入手したのであろうか。他に、同じ陶土を使った半筒形の「竹」銘の茶わんも残されており、その形状からも本来は「松竹梅」の三つ重ね茶わんだったことが推察される。
不白好 寿釜
不白81歳の時の好み。形は丸釜で、正面に円相と、その中に自筆字形で「寿」と書かれた地紋がある。鐶付は緑毛亀であるが、これは長命の象徴であると同時に、不白の幼名である亀次郎にもかけられたものと思われる。作は大西九代浄元である。
不白好 鶏頭棗
江戸千家・川上家は、不白以前より日蓮宗の信徒であった。それ故に、不白は京都での修行時代、表千家の門前にあった本法寺という日蓮宗本山寺院にて教えを受けていた。その本法寺に所蔵されている銭舜挙の鶏頭の図に感銘を受けた不白はその絵を模写し、江戸に出た後に印籠師の塩見小兵衛に蒔絵をさせて好んだのがこの鶏頭棗である。
不白好 蓋置 寶殿
不白が播磨国の石乃寶殿に参詣した折にその形を写して好んだ蓋置である。本歌は赤楽手造りで、他に同じ形で香合もできた。扱い物として用いる。石乃寶殿は兵庫県高砂市阿弥陀町生石にある生石(オオシコ)神社の御神体で、鎮の石室とも称される。三方岩壁に囲まれた巨岩の殿営で池中に浮き東西に横たわる姿で、一辺6メートル前後、推定重量五百トンの巨大な石造物である。不白はこの石乃寶殿参詣のおり、「世々を経し石の宮居や苔花」の発句を『不白翁句集』に残している。
生石神社 石乃寶殿