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宗家 利休忌

2016年04月2日(土)

宗家 利休忌
二月二十八日(日)
ご宗家による「利休忌」の法要と茶会が例年のとおり二月二十八日に執り行われました。今年は天正十九年二月二十八日から数えて四百二十六年遠忌となります。
やや寒いながらも快晴に恵まれたこの日、日曜日ということもあり、いつも以上に多くの方々がご参会になり、御法要の行われた三階大広間は早々にいっぱいになりました。
正面の床は「利休忌」恒例の設え。ご流祖より伝わってまいりました利休居士の御像、竹の三ツ具足には菜の花。御軸は英一蝶画、ご流祖讃の「寒山拾得」の双幅。
午前十時、お家元はじめご宗家の皆様が座に着かれ、鐘の音が響きますと大広間が静寂に包まれます。やがて菩提寺・安立寺ご住職様、副住職様がお入りになり御法要に。ご住職様の読経の声に耳を傾けておりますと、若宗匠が点前座に進み出られ御供茶点前へと移ります。半東は峯雪先生がお務めになり、若宗匠が丁寧に点てられた御茶は峯雪先生によって御像に供えられ、続いて若宗匠も御像前に進まれ拝礼。これに合わせて御参会の皆様も合掌し御像に一礼をされます。
歴代お家元の戒名とともに江戸千家物故者の菩提が弔われ、改めて「南無妙法蓮華経」の御題目が唱えられまして今年の「利休忌」御法要も滞りなく終了。安立寺ご住職様、副住職様がご退出になりますと、お家元が進み出られて御参会の御礼を述べられました。次いで、本日のお席のこと、そして午後より恒例の「五事一行」が行われる旨の御挨拶があり、三階大広間は〈広間〉席とその寄付、そして点心席へと改められました。
本年もお席は三席。二階〈担雪軒〉が濃茶席、三階〈広間〉が薄茶席、そして同じく三階〈奥の間〉は点心席となり、こちらではこれも例年通り竹葉亭調進の点心がご用意されておりました。
〈担雪軒〉ではお家元がお席主をお務めになり、お点前もお家元と若宗匠が交代でされ、半東には峯雪先生がお入りなりました。
床の御軸はご流祖筆「利休居士 茶の教え」。文末に〝右利休居士茶感 應人求書〟と記されておりました。
花入は表千家四代江岑宗左作の竹一重切、銘「雪月」。こちらにお花が入ると〝雪月花〟となるとのこと。竹の裂け目やそれを止めた鎹までもが深い時代色を帯びた美しい花入でした。お花は翠鶴先生が生けられた羽衣椿に白木(シロボクともシラキとも)。白木には山茱萸にも似た小さな黄色い花が。香合は伊賀焼の伽藍石。
釜は京名越家の流れをくむ下間庄兵衛作の丸釜。炉縁は大徳寺古財。大亀老師より頂いたもので山門の財であったそうです。
台目棚には色も造型も独特の美濃伊賀の水指が置かれ、茶器は江岑在判の鷲棗。如心斎とご流祖筆の箱が添っており、作は関宗長。よって別名宗長棗とも呼ばれるそうです。関宗長は元伯宗旦の頃に活躍した塗師で、今回はこの鷲棗を包み袱紗にしてのお点前でした。
茶?は御本呉器。高い撥形高台に見込みの丈がとても深い典型的な呉器茶?とのこと。出袱紗は印度更紗。「綺麗ですねえ」という声が多く聞かれました。
茶杓は如心斎作で銘は春らしく「早蕨」。茶杓と鷲棗、そしてご流祖在判の竹の蓋置がいずれも細身でしたので、並べていただきますとお席の雰囲気が実にすっきりとした感じになります。
御茶は松華堂詰「千代の昔」。御菓子は毎年〈担雪軒〉の恒例であります半田松華堂製の「菜種饅頭」。
〈広間〉は翠鶴先生がお席主を務められる薄茶席。これも利休忌の習わしである「大順和尚筆 利休遺偈 ご流祖筆 利休ケラ判」の御軸に旅?笥の棚。本年の水指はつややかな高取焼。
釜は大西淨久作の乙(おと)御前(ごぜ)釜。乙御前とはお多福の意。姥口のふっくらした形からの連想ではないかと。炉縁は真塗。
茶器は面中次。一元斎好の雪輪紋の蒔絵。立派な佇まいの茶器でありました。
主茶?はご流祖作の黒楽で銘「六祖」。「六祖」といえば米搗きの画であると数年前のこのお席でお教えいただいた覚えがありますが、はたしてこのお茶?の正面にもご流祖による米搗き臼が描かれておりました。替茶?は梅の画がある絵御本。素朴な感じの米搗き臼の画と愛くるしい梅の画。どちらも気持ちを穏やかにしてくれました。
茶杓もご流祖作、銘は「拂子」。蓋置は大燈紋が象られた萩焼。
輪花盆の菓子器には、これも〈広間〉席の恒例である松江三英堂製「菜種の里」と青山菊家製「利休ふやき」。毎年これをいただくと春の訪れを感じられますと仰有るお客様が多くお出でになります。
当日は午後一時三十分より「利休忌」の習わしの「五事一行」が執り行われました。先述のとおり今年は特に大勢様がお見えになりましたので、三階〈広間〉は文字通り立錐の余地がない状態に。
席入りされた五名様には前々日にご指名があったと承りましたが、いつもながら濃密な雰囲気のなか、誠に滞りなく廻り花・廻り炭・且座・花月・一二三と進んで「五事一行」が終えられたのは見事なことと感じ入りました。見守られていたお家元、翠鶴先生も満足げなご様子でありました。
奇しくもこの日は「東京マラソン」の開催日。東京都心は要所々々で騒がしい日でしたが、弥生町ばかりは静寂と和やかな笑顔、そして「五事一行」の緊張感など様々な感覚に触れられた貴重な一日でありました。











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