孤峰不白忌
十一月四日(水)
ご流祖の遺徳を偲ぶ「孤峰不白忌」が今年も十一月四日に江戸千家会館にて営まれ、多くの方々が三階大広間にご参集になりました。
正面の床には宙宝和尚筆「南無妙法蓮華経」の御軸、ご流祖の御像には竹三ツ具足に白菊という例年通りの組合せ。
午前十時、菩提寺安立寺の御住職様、副住職様がお入りになり、続いてお家元、翠鶴先生、若宗匠、峯雪先生が着座され第二百九遠忌のご法要がはじまりました。安立寺様による読経が進むうちに、今年も若宗匠が御供茶点前をなされ、半東は峯雪先生がお務めに。若宗匠が点てられた御茶は峯雪先生によってご流祖御像に供えられ、若宗匠も進み出られて御像に拝礼しますと御参列の皆様もあわせて拝礼。やがて読経を終えられた安立寺御住職様、副住職様がご退出になりますと、お家元が進み出られて、参列の御礼を述べられ、さらに本日のお席の御案内があり、「どうぞごゆっくりお楽しみ下さい」との御挨拶を頂戴いたしました。こうして今年も恙なく「孤峰忌」のご法要は終了いたしました。
本年もお茶席は三席。第一席は急ぎ改められた三階〈広間〉で翠鶴先生がお席主の薄茶席。第二席は二階〈担雪軒〉若宗匠がお席主の濃茶席。第三席は二階〈不式庵〉にてお家元がお点前をされる洞庫席。さらに三階奥の間が〈点心席〉となり、三友居調進の点心をいただきました。
第一席の床はご流祖筆の三幅対「凡聖同居」「龍蛇昆雑」、御供茶で用いられた真の台子にはご流祖好の唐銅皆具と孤峰忌では恒例の設え。
茶器は一元斎好の雪輪蒔絵の棗。蓋裏に一元斎宗匠の朱書の花押があることから「懐かしい」と仰有るお客様も多くお出でに。主茶?はご流祖の箱、樂家六代左入作「大黒写」。本歌の「大黒」と比べてすっきりと端正な作り。替茶?は十字の割高台が特徴的な高麗茶?で白色をやや強いながらも渋く落ち着いた色合で、主茶?との対称の妙が味わえました。茶杓は季節に合せてご流祖作の銘「錦」。ご流祖の作としては短いのが珍しく可愛らしい茶杓。
御菓子はこれもこのお席の恒例の「孤峰餅」。但し職人の方が体調をくずされ、本年よりは赤坂・塩野製に。サンプルを何度か遣り取りしてようやく間に合ったと翠鶴先生より承りましたが、お客様方よりの「これまでと遜色ありませんね」という声に大変安堵されたご様子でした。菓子器は青の色味が美しい京焼。
第二席〈担雪軒〉は濃茶席。お席主の若宗匠はお点前もされ、今年は智大様が半東を務められました。
床の御軸はご流祖筆「諸法実相」。四文字の一行物とは珍しく、しかしその分大きくのびのびとした筆使いが素晴らしい書であります。また「蓮華坊不白」と記されているのもまた珍しいとのこと。花入もご流祖作の竹二重、銘「唐崎」。少し傾(かし)いでいる風情から「唐崎の松」を連想されての御銘のようです。お花は嵯峨菊と灯台(ドウダン)躑躅(ツツジ)。香合はお家元好の菩提樹の葉を象った志野で、安立寺様での供養塔建立の折に作られたもの。
釜は大西家二代浄清作、遠山鐶付の鶴首釜。鶴の首の如く口作りがやや細長く、しかもそこだけに霰が打たれているという凝ったお釜。炉縁は宗哲の真塗。
祥峰棚に水指は深い青色が印象的な辻焼で、第一席の唐銅戒具と同じ形。飾茶器は四代鶴叟好の平棗。
茶入はご流祖手造の黒楽、銘「木がらし」。正面に釉流れがあり、背に朱書で銘が記されておりました。仕服は間道。かなりの時代のもので初めからの添っていたのではないかと。
茶?は高麗の御器(呉器)。箱蓋に定家流の書風で「時雨」とありましたが、どなたの書かは不明とのこと。淡い灰色に赤い斑点のある御器らしいお茶?。南蛮風の意匠が楽しい袱紗は大亀老師から頂戴したという堺更紗。
茶杓はご流祖作の銘「横雲」。ここに至って「木がらし」「横雲」「時雨」と繋がって秋の風情を感じさせるお道具組の流れがわかります。
蓋置は萩焼、十二代坂高麗左衛門作のお家元好の大燈紋。御茶は千代の昔、松華園詰。菓子は鶴屋八幡製「紅葉きんとん」。
第三席〈不式庵〉は毎年お家元のお点前を間近で拝見できる洞庫席。
床は季節に合わせてご流祖筆の短冊「口切の沙汰に及ぶや色づく柚」。花入は一元斎作の竹一重、銘「布袋」。花は加茂本阿弥に梅もどき。香合は織部。
釜は浄元作、鬼面鐶付の尻張釜。無紋に常住の文字が陽刻されておりました。台目棚にはご流祖手造の赤楽の水指。そして茶入は宗旦好の竹の茶入。二代自得斎宗匠の箱書というのも珍しいのだそうでが、いずれにも立派な佇まいがありました。
主茶?は流祖手造の赤楽、銘「玉椿」。替茶?は樂家九代了入が呼び継をしたという珠光青磁。
黒々とした色が深い茶杓はご流祖作の銘「如意写」。櫂先が反り返った形で御茶を掬うのが難しそうに見えます。一見煤竹から作られたようですが実は材は不明。蓋置は一元斎在判の竹の蓋置。
菓子は恒例の半田松華園製の「孤峰」。菓子器の銘々皿は東大寺古代瓦を模したもの。
恒例のお道具を拝見できる安堵感とともに、今年は特に珍しいもの、凝ったものを多く拝見でしましたので、いつになく得難い経験ができた「孤峰忌」でありました。