九月の恒例茶会として定着いたしました「白石城茶会」が今年も十五日(日)に開かれました。二十四回目となった今回は、天守閣に〈濃茶席〉と〈点心席〉が設けられ、〈濃茶席〉では若宗匠がお席主を務められました。また本丸野点席は江戸千家白石教場碧水会の皆様による〈立礼席〉となり、遠方からのお客様も含め大勢様がお出ましになり、大いに賑わったお茶会となりました。
快晴に恵まれた誠に結構な日和でしたが気温は28℃に。本丸野点席の皆さんは照り返しも厳しい暑さの中で、御準備など大変なことだったのではと拝察しております。
三層天守閣の一階に〈点心席〉、そして〈濃茶席〉は例年通り天守閣二階に設えられ、若宗匠がお点前を務められ、半東には今年も智大様が入られました。
一昨日が仲秋の名月。昨晩は満月ということで、お席の主題の一つは月のイメージですが、一方で今年はご流祖の生誕三百年、また前々日の十三日は如心斎宗匠の御命日即ち「天然忌」でしたので、如心斎とご流祖をモチーフに、この二つを巧みに組み込まれたお道具組にお客様方は驚き、お席を堪能されてゆかれました。その詳細は文末の「当日のお会記」で御確認いただくとして、まず床の御軸が素晴らしい無学和尚筆
鏡分金殿燭(鏡は金殿の燭を分かち)
山答月楼鐘(山は月楼の鐘に答う)
これは禅の境地である「不一不二(ふいつふじ)」を表した禅語だそうで、金殿は御殿、燭は蝋燭の意。鏡の前に蝋燭をおけば炎が二つになる。同様に鐘の音も山に反射して響くので二つ聞こえる。どちらが真でどちらが偽か、本当はそんな区別はないのだという深遠な思想を表現しておりますが、まずは月のイメージを心に留めて次に移ります。胡銅の花入は珍しい獅子耳付、下蕪末広型。お花は秋明菊に水引、そして白花の藤袴が印象的でした。
さて、本年のお席は台目棚を用いた小間仕立になっておりましたが、それはご流祖手造の水指「冬瓜写」をお使いなるためでありました。御流儀の方々ならばよくご存じの、七事式「一二三」御考案にあたっての如心斎宗匠とご流祖との逸話、そしてその折に賜った「冬瓜」銘の水指のお話をお客様方は深く頷きながら聴き入っておられました。本来ならば「冬瓜」を持ち込まれたかったそうですが、展覧会出品準備のため叶わず、ご流祖作の「冬瓜写」になったとも。さらに無学和尚も七事式制定に深く関わられたと紹介されますと、多くの方々が御軸のもう一つの意味を知り、濃茶席らしい重厚なお道具組に感歎されておりました。
紙量の都合上あとは駆け足で御紹介。
玉子手のお茶盌は銘「岩垣」。高麗堅手の一種で、薄作りながら火間もあり見所の多いお茶盌でした。出袱紗はタイシルク。
細身の胡麻竹の茶杓は如心斎作。歌銘で共筒には有名な和歌
わが庵は都のたつみしかぞすむ
世をうぢ山と人はいふなり
共箱に「三木町常用」と記されていることから、和歌山のお屋敷で使われていたものと思われます。また撓めの所には如心斎の縦長の花押(立判)がある珍しいお茶杓でした。
本丸御殿跡広場での野点席は高円卓での〈立礼席〉。こちらには宗鶴師筆の短冊「峰の月」が掛けられ、歌花筒には数珠珊瑚や杜鵑草、糸薄など。
お席の主題は〝稔りの秋〟。お会記にあるように椰子、蜜柑、葡萄、茄子などに因んだお道具組が楽しく、しかもいずれも逸品揃い。「美味しそうなものが揃っています」との御説明にお客様も笑顔で応えておられた、気持ちの良い立礼席でありました。
〈当日の会記〉
白石城茶会 濃茶席
時、令和元年年九月十五日
於、白石城天守閣
主 江戸千家宗家 川上紹雪
床 無学和尚筆 竪
鏡分金殿燭 山答月楼鐘
花 秋明菊 水引 藤袴
花入 胡銅 獅子耳
香合 唐物
台目棚置きて
風炉釜 鉄 真形切合
水指 不白手造 赤
冬瓜写 一元斎箱書付
茶入 了入 黒 銘 翁
了々斎在銘 自得斎箱書付
茶盌 高麗 玉子手 銘 岩垣
袱紗 泰國
茶杓 如心斎作 歌銘
我が庵は云々
在判 三木町常用トアリ
共筒 吸江斎箱書付
建水 木地曲
蓋置 青竹 引切
御茶 蓮華菴好 千代の昔
味岡松華園詰
菓子 仙台・菓心庵モリヤ製
器 当代好
雪輪透青漆爪紅縁高
以上
白石城茶会 立礼席
於、白石城本丸御殿跡広場
主 江戸千家白石教場碧水会
床 宗鶴筆 短冊 峰の月
花 数珠珊瑚 杜鵑草 糸薄
歌花筒掛けて
香合 布哇 椰子
棚 当代好 高円卓
釜 富士 政光造
水指 祥瑞 蜜柑写 竹春造
茶器 葡萄蒔絵 棗 一兆造
茶盌 紹雪手造 刷毛目
替 色絵薩摩 秋草図
茶杓 鼈甲
建水 高取 累座 正久造
蓋置 色絵 茄子 竹志造
御茶 当代好 深雪の白
山政小山園詰
菓子 栗きんとん
八百津・緑屋老舗製
以上