トップページ > 2019年11月24日 川上不白生誕三〇〇年 水野氏入部四〇〇年記念茶会 若宗匠御供茶

2019年11月24日 川上不白生誕三〇〇年 水野氏入部四〇〇年記念茶会 若宗匠御供茶

2019年12月13日(金)
ご流祖生誕の地である和歌山県新宮市では、平成十九年の没後二百年の御法要と記念茶会開催を機に、地元の「茶道表千家流音無会」の皆様方によって、「川上不白を偲ぶ茶会」が毎年秋に、ご流祖所縁の本廣寺にて開かれてまいりました。若宗匠も毎回ご出席されてきたそうですが、第十三回目となる本年は、ご流祖の生誕三百年とともに、川上家の主家である新宮藩主水野家(紀州藩付家老)の入部四百年を祝す記念茶会となったことから、若宗匠が御供茶をされ、音無会様とともに御宗家もお席持をされることになりました。
十一月二十四日(日)
〈御供茶式〉川上紹雪若宗匠
(於:本廣寺)
〈茶席〉
本廣寺(茶道表千家流音無会席)
宗応寺(江戸千家宗家蓮華庵席)
本廣寺様は藩主水野家の菩提寺であり、境内にはご流祖が寛政九年(一七九七)七十九歳の折に建立された一字一石経塚「書写妙法蓮華経印塔」がございますが、こちらは現在和歌山県指定文化財となっております。
当日は朝から晴れ渡り、気温も二〇℃を超える温かさ。近県のみならず全国から大勢のお客様がお見えなりましたが、さすが御流儀の方々はよくご存じで、本堂前にて受付を済まされますと、多くの方がまずはこの印塔にお参りをされておりました。
〈御供茶式〉開始時刻には、本堂は御参列の方々で一杯に。さらに地元新聞の取材やテレビカメラも入りましたので、堂内には熱気と緊張感が満ちてまいります。
午前十時、御住職清水文雅様が御入堂になり、お家元、若宗匠、峯雪先生、智大様が続いて所定の座に付かれて御法要が始まりました。
清水御住職様による読経が続くなか、若宗匠が進み出られて御供茶点前を始められます。半東には智大様が入られました。今回の御供茶はお濃茶を二碗。一碗目は御本尊前に据えられた水野家歴代藩主戒名が記された御位牌に。二碗目はさらにその手前に置かれたご流祖の御像に、それぞれ智大様によって供えられました。続いてお点前を終えられた若宗匠が御焼香をされ、次いでお家元が御焼香。このあと御参列の方々を代表して、新宮市副市長・向井雅男様、表千家同門会和歌山県支部役員・森本光子様、そして茶道表千家流音無会会長・筑紫充代様がそれぞれ御焼香をされました。
読経を終えられた御住職様が退出されますと、音無会会長・筑紫充代様がお立ちになり御挨拶をされ、御参会の御礼とともに、本会の趣旨について、そしてお茶席の御案内とともに御挨拶を結ばれ、〈御供茶式〉は無事終了いたしました。本廣寺様の本堂はこのあと音無会様のお席となりました。
一方、御宗家のお席は本廣寺様より徒歩五分ほどの宗応寺様にて。こちらは曹洞宗のお寺であります。
立派な山門をくぐり本堂へ。寄付に掛けられた御軸はご流祖筆「福寿草の画讃」
みとり子のにつこと笑顔や福寿草
八十七 不白
「みとり子(緑児・嬰児)」は赤ん坊のこと。福寿草は季節が違いますが、生誕地での記念茶会ということで使われたと承りました。
お席では若宗匠がお点前をされ、智大様が半東をお務めに。お家元も毎回お客様に御挨拶をされておりました。
床の御軸は如心斎筆「萬歳萬々年」。力強く、しかも「々」(踊り字)が宝珠になっているので洒脱さも伝わってくる御軸。竹の花入はご流祖作の置筒で銘「帰帆」。こちらも本日のお席にピッタリの御銘であります。風を受けた帆を思わせる形も面白く、しかも輪と柱には波蒔絵が描かれた凝った作でした。お花は加茂本阿弥にブルーベリーの照葉。香合は根来塗の柿。
透木風炉にお釜は総霰が美しい芦屋の真形釜。菊桐透しの風炉先は一元斎好み。真塗の米棚に水指は獣脚で竹節の耳付の青磁。前記の獅子香合ですが、米棚ということで替蓋で用いられました。
さて、この日久々にご流祖好み鶏頭棗を拝見。ご流祖が表千家での修行中、近くの本法寺にあった宋代末の画人銭舜挙(銭選)筆の「鶏頭花図」に感動しこれを摸写。後年江戸にて印籠師塩見小兵衛にこの図を示して作らせたのがこの棗という逸話を、若宗匠が分かりやすくお話になり、さらにその摸写図を脇に掛けて下さいましたので、皆さん大変に感激されておりました。こちらも寄付の画讃と同じく、季節は違いますが、記念茶会の趣旨に沿って使われたそうです。
主茶盌はご流祖手造、赤樂の菊桐図茶盌。ご流祖らしい厚くどっしりとした作。替茶盌は高麗の金海。撥高台に色も形もすっきりとした作でした。茶杓は啐啄斎作の銘「都帰(みやこがえり)」。若宗匠が「本日は都から帰ったと御理解下さい」とお話になりますと、皆さんも笑顔に。
お席では御菓子が二つ供され、音無会様御提供の干菓子は新宮の福田屋製の「雪月花」。ご流祖の書が陽刻されておりました。お家元が御用意されたのはお隣の紀宝町にある十紀和屋製の「果無(はてなし)の峰」。こちらは『不白翁句集』の記述より、高野山から熊野へ向かう難所〝果無し越〟から採られたものとのこと。
初めて新宮を訪れて、地元の方々がいかにご流祖に対し尊崇の念と親しみを感じていらっしゃるかが強く伝わってまいりました。これに応えてお家元も、鶏頭棗をはじめとして御趣向に富んだお道具組のお席を設えられましたので、誠に感慨深い記念茶会となりました。

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