総本山善通寺
弘法大師御誕生会法要御供花御供茶式・記念茶会
六月十四日(火)
六月十四日、今年も四国・総本山善通寺様での「弘法大師御誕生会法要」において「御供花御供茶式」および「記念茶会」が執り行われました。お家元による御供茶勤仕は五回目に。また例年通り奈良・総国分尼寺法華寺御流御家元樋口教香尼公様が御出座になり、御供花御奉仕を務めになりました。
当日は「記念茶会」も開かれ、〈拝服席〉ではお家元が、〈副席〉では「茶楽」の皆様がそれぞれお席持をされました。
「御供花御供茶式」は善通寺西院(誕生院)の境内に建つ大本堂「御影堂」にて。いつものようにまず「御法話」を静聴した後、定刻の午後一時、静寂の中、僧侶方がご入堂になり、御堂内陣の左右へ。続いて本日の御導師様が入られ宝塔前に着座されお式の開始となります。読経の始まりとほぼ同時に御案内があり、御供花御供茶のお点前へと移ります。
内陣の右側では樋口教香尼公様が見守られるなか法華寺御流の方々によって檜葉の立華一対が供えられ、左側では、東大寺長老上野道善猊下御出座のもと、お家元が御供茶点前をなされ、半東を若宗匠が務められました。お家元が点てられた濃茶、薄茶の二碗はそれぞれ若宗匠の手で奥まで長く敷きつめられた白布の上を静かに運ばれてゆき、僧侶方に手渡された御供茶二碗はさらに奥殿へと運ばれ御宝前に供えられました。
この後、内陣の僧侶の方々による読経の声が堂内を満たしてゆきますと、御参列の御一同様もあわせて瞑目、合掌。時折御影堂を吹き抜ける風とともに読経の声が身体にしみ込んでゆくように感じられた「御供花御供茶式」でありました。
「記念茶会」も例年通り午前中から開かれ、境内の宿坊「いろは会館」の三階の「蝸庵」が〈拝復席〉、同じく三階の「大広間」が〈副席〉となり、朝早くから多くにお客様がお出ましになりました。御流儀にとりましては年に一度の善通寺様でのお茶会ですから楽しみにされてきたお客様も多く、自然とお席での会話も弾み、二席とも終始和やかな雰囲気に包まれておりました。
〈拝復席〉の最初のお席に善通寺管長・樫原禅澄猊下、そして上野道善猊下、樋口教香尼公様が入られるのも例年のとおり。お家元の御挨拶に続いて、若宗匠がお点前をされました。
床の御軸は如心斎筆「飛石の画賛」。〈茶ノ湯には 梅寒菊に水仙花 青竹枯木 暁の霜〉。唐物籠には翠鶴先生によって升麻に下野、白花の松本仙翁の三種が生けられ、香合はお寺でのお茶会ということで宝珠型の青貝香合。
釜は芦屋。総霰の真形釜で鬼面鐶付、撮みは梔子。方円棚には幾何学紋のオランダ水指。寸法が方円棚とバランスの取れた水指ですので、とても落ち着いた感じが伝わってきました。飾茶器は守屋松亭作、柳蒔絵の薄茶器。極々薄い木地は二代村瀬治兵衛の作。名人二人による逸品は今日では再現が難しいのではと。仕服は御誕生会ということでお目出度く石畳の銀欄に宝尽くしの紋様。
茶?は高麗刷毛目。やや大振りながらいかにも時代を重ねて使い込まれてきた色合から独特の存在感を示していました。出袱紗は平成二十四年の第一回勤仕の折、樫原禅澄猊下より賜ったもの。樫原管長お好みの裂より調進された袱紗は善通寺所縁の三雀紋。
茶杓はご流祖作の銘「布袋」。これは節下が膨らんでいることからの御銘でやはりお目出度い茶杓でした。
蓋置は一元斎好、月白釉の雪輪。御茶は松華園詰「千代の昔」。菓子は地元冨久ろ屋製の練切で「花菖蒲」。
〈副席〉は四国男性茶道集団「茶楽」の皆さんによる立礼席。設立から十四年目とのことで、各ご流儀を超えて結集されており、年に四回ほど大きな茶会を催すなど、茶道普及に努めておられます。この日は江戸千家のメンバーの方々が中心となって高円卓による立礼席でありました。
大広間の床はお大師様が室戸岬で修行されている様子が描かれた大きな墨絵。こちらには先々代管長蓮生善隆猊下筆「遍照」の御軸が掛かり、お花は早朝に山で採ってこられたものばかり。大きな淡竹(ハチク)を中心に蛍袋などが華やかに。主茶?は樂家九代了入作の黒樂で、馬盥型の平茶碗。替茶碗は十五代永樂正全作の安南写。帆掛け船の絵に遣唐使への思いを掛けられたとのこと。また三の替茶碗は〝空と海〟が描かれた仁清写。菓子器も香川県出身の彫漆家で人間国宝・音丸耕堂の作。黒漆にこの季節らしくカタツムリに紫陽花が美しく映えておりました。
その他お菓子は水屋で焼きたての「葛焼」とのご説明には驚きの声があがり、お客様からは日頃の活動へお尋ねも多くあがるなど終始賑やかな〈副席〉でありました。
毎年梅雨の最中でありながら不思議と雨に遭ったことがない「御供花御供茶式」。快晴で最高気温が三〇℃だったにもかかわらず吹く風が爽やかなのも毎年善通寺様で感じること。繋がる仏縁の有難さに手を合わせ帰路についた一日でした。