白石城茶会
九月二十七日(日)
このところ毎年参上しております「白石城茶会」をこの秋も伺うことができました。
今年は白石城が平成七年に再建されてちょうど二十年目。「白石城茶会」も第二十回となるお祝いの記念茶会となりました。
当日は小雨降る東京駅を朝七時過ぎの新幹線で出発。北上してゆくとどんどん空が明るくなり、車窓には黄金色の水田が。まさに稔りの秋が実感できました。
九時十五分には白石城着。新幹線とタクシーでほぼ二時間。白石は意外に近いのです。開始時刻の十時には余裕をもって到着でき、お席主の若宗匠はじめ翠鶴先生や智大様、お手伝いにみえられた仙台支部長伊藤宗圭様、そして地元白石碧水会の皆様に御挨拶。
雨に降られることの多いこのお茶会ですが、今年は晴れ渡り、天守閣からは蔵王の山々がはっきりと眺望できた爽やかな一日となりました。
本年は天守閣一階に点心席、二階は若宗匠が席主をお務めの濃茶席。本丸内では裏千家様の子ども教室と野点薄茶席。碧水園には表千家様の薄茶席という大茶会。そのお濃茶席は例年通り三層の天守閣の第二層大広間に特別に設えられておりました。市民茶会のため一般のお客様も多いお席ですが、若宗匠は毎回わかりやすくお点前のことやお道具についてお話になり、半東には智大様が入られましたが、実に頼もしく感じられた次第です。
またこの日は「中秋の名月」。よってお道具組には「名月」と二十周年を迎えた祝意を組み込まれたとのこと。お道具組みについてはお会記を掲載しますので詳しくはそちらを御覧いただくとして、いくつか印象に残ったものについて記します。
床の御軸は筆勢のある萬仭和尚筆の一行「寿山等松栢」。特に禅語というわけではないそうですが、誠にお祝いの茶会には相応しい字句。萬仭和尚は大徳寺二六四世陽岑宗昕の許で修行を積み、摂津國般若寺を再興されたことでも著名。鴻池家とも親しく、没年は不明ながらご流祖とほぼ同時代の方ではないかと。
ご流祖好松木地の亀の香合に双鶴棚の組み合わせでこれもお目出度く「鶴亀」に。またお会記に蓮板とある風炉先は神代杉を薄くスライスした板が嵌め込まれており、これは最近はなかなかお目にかかれないと仰有るお客様も居られ、その侘びた感じとともに好評でありました。
水指も同様にお目出度く松竹梅紋の染付。清代嘉慶年製でちょうど日本の文化年間の頃ですから、やはりご流祖と同時代の作。
飾茶器は季節に合わせて松亭作の秋草蒔絵。茶入は信楽の肩衝で表千家六代覚々斎原叟箱にご流祖の外箱がついたという豪華なもの。銘は覚々斎宗匠が「キレモノ」と付けられ、これにご流祖が「アラミキレモノ」と追銘されております。「キレモノ」とはいわゆる刀剣のことかと。「アラミ」は新身、すなわち新造の刀のことで、いずれにせよ天守閣でのお茶会らしいに銘であることから選ばれたと。
茶?はご流祖箱、宗入作の黒楽で銘「槌」。まさしく木槌・金槌の「槌」のことで、こちらには二十年前の再建時に思いを馳せ、という意を込められたそうです。
茶杓は西山松之助先生、八十九歳の作で銘「峰の月」。先生の作としてはやや細身ながら、旧家の屋根裏の煤竹が用いられており、節下の白い部分(編み込みの糸の箇所が燻されず白くなったところ)を月に見立てられた御銘ではないかと。これに一元斎好の蓋置が雪輪の月白釉なので「中秋の名月」に合わせたとのこと。ちなみに月白釉とは釉薬中の鉄分が還元炎焼成により白濁した青色に焼き上がるもの。その他当日配布のお会記にはありませんでしたが、仕服は大桐紋の金地金襴、袱紗はずっしりとした金モールでした。
〈会記〉
白石城開門二十周年記念
第二十回「白石城茶会」
時、平成二十七年九月二十七日
於、白石城天守閣
主 江戸千家宗家 川上紹雪
床 萬仭和尚筆一行
寿山等松栢
花 山芍薬の実、桔梗二種、紀伊
上臈杜鵑、丘虎の尾の照葉
花入 唐物 籠
香合 不白好 松木地 亀
風炉釜 芦屋
真形総霰 切り合わせ
風炉先 蓮板
棚 当代好 双鶴棚 信斎造
水指 染付 松竹梅紋
茶入 信楽 肩衝
銘 アラミキレモノ
原叟箱書付 不白外箱書付
茶器 秋草蒔絵
茶碗 宗入 黒
銘 槌 不白箱書付
茶杓 西山松之助作
銘 峰の月 共筒
建水 当代好 砂張 共箱
蓋置 一元斎好 月白釉 雪輪
共箱
御茶 蓮華庵好 千代の昔
味岡松華園詰
菓子 咲分きんとん
菓心庵モリヤ製
器 溜 糸目銘々
以上
この二十年の間には「東日本大震災」もあり、再建天守閣も被害を受け、決して平坦な年月ではなかったそうで、そういった若宗匠の想いが詰まった祝意に満ちたお席は、秋晴れの空とも相俟って気持ちの良いお席でありました。