師走恒例の行事であります東京茶道会「茶筅供養」が十二月三日、東京音羽・護国寺様において開かれました。また当日は十二月の「東京茶道会茶会」も開かれ、今回は若宗匠が〈圓成庵〉にてお席主を勤められました。
茶筅供養
「茶筅供養」は例年通り午前九時三十分、月光殿前庭に立つ〈茶筅塚〉にて。お家元はじめ東京茶道会の各御流儀の宗匠方、そして門人の方々が多数ご参列のなか、護国寺様による「般若心経」の読経が始まります。やがて僧侶の方が最初に〈茶筅塚〉前にて茶筅のお焚き上げをされ、これに続いて役員の宗匠方、各御流儀の関係者の方々が次々と炎の中へ茶筅をくべ合掌。お家元、若宗匠も立ち昇る炎と烟が流れるなか丁寧に塚に手を合わされておりました。また御流儀からは埼玉支部長の塚田宗静様と東京支部の今野宗博様もお焚き上げをされるなど、今年の「茶筅供養」も大勢様ご参列のもと恙なく執り行われておりました。
茶会
暦の上では既に冬でありますが護国寺の紅葉は今が盛り。快晴にも恵まれたお茶会日和のこの日は、大変に多くのお客様がお見えになり、各席とも終日賑わっておりました。
今回、若宗匠が席持をされたのは小間の〈圓成庵〉。師走ながら境内は紅葉真っ盛りというお席で季節感を表現するのは難しいことと拝察しますが、例えば御菓子の「霜葉」(赤坂塩野製)などは紅葉に霜が降りた様を象ってあり、この日の気分にとても合ったものでした。なお「霜葉紅於二月花」(霜葉は二月の花よりも紅なり)という有名な禅語もあるとのこと。
床の御軸もそんな微妙な季節感が写し出されたようなご流祖筆「若楓の画讃」。
うかうかと春は芽出しの若かいて
染めなる色の散るぞわびしき
江戸初期に作られたという丹波焼の花入に、お花は白玉椿に燈台躑躅の照葉、そして小さく赤い山苺の花が珍しく、お客様方からも好評。香合は甲蓋に金箔が押されてある赤楽、二代自得斎手造の鴛鴦。こちらは過ぎゆく「酉年」の名残として使われたそうです。
釜は大西家六代浄元、所謂〝古浄元〟作の姥口釜。享保年間製で大きくどっしりとした佇まい。炉縁は今年(平成二十九年)御献茶があったことに因み、玉垣の材を頂戴したという平安神宮古材。水指もお釜と同じように存在感のある尹部焼の上耳口。茶器はご流祖好の蔦木地棗。共箱に大棗と記されてほど大きさで、質素で味わい深い色合がお席の雰囲気に合っておりました。
主茶盌はご流祖作の赤樂で銘「寿福寺」。高台脇に彫銘のあるお茶盌でした。「寿福寺」は鎌倉五山の一つ。ちょうど禅宗寺院では「臘八大攝心」という一年で最も厳しい修行中なのだそうで(12月1日~8日)、そちらに思いを馳せて用いられたと若宗匠より承りました。
茶杓は住山揚甫作、在銘「有馬筆」。節下に朱書されておりました。共筒には「還暦の賀」と記されており、太めの筒から櫂先の細い如心斎型の茶杓が出てくる様を有馬筆に見立てたのだろうとお話。竹の蓋置は一元斎在判在銘で黒田正玄による戦時中の作。
その他、お道具組については〈当日の会記〉をご参照いただくとして、前述の通り秋から冬への端境期といった季節感を巧みに取り込まれていた〈圓成庵〉のお席でありました。
〈当日の会記〉
平成二十八年十二月三日
東京茶道会茶会
於 音羽護国寺 圓成庵
主 川上紹雪
床 不白筆 画讃 若楓
うかうかと春は芽出しの若かいて
染めなる色の散るぞわびしき
花 白玉 燈台躑躅 山苺
花入 丹波
香合 二代自得斎手造 鴛鴦 共箱
釜 姥口 浄元造
炉縁 平安神宮古材
水指 尹部 上耳付
茶器 不白好 蔦木地 棗
茶碗 不白手造 赤
銘 寿福寺 共箱
替 萩
茶杓 住山揚甫作 共筒
在銘 有馬筆 還暦の賀
建水 木地曲
蓋置 竹 一元斎在判
御茶 寿泉の白 ほ里つ詰
菓子 霜葉 赤坂塩野製
器 真 縁高
以上
(「孤峰―江戸千家の茶道」平成30年1月号より)