平成二十六年十月以来となる第二十回「三溪園大茶会」( 主催:公益財団法人三溪園保勝会)が十一月二十一日・二十二日の二日間、横浜市の国指定名勝「三溪園」にて開催されました。前回と同じく五流合同による後援によって行われましたが、今回、お家元は第一席〈白雲邸〉にてお席持をされました。
取材に伺ったのは一日目の十一月二十一日。数日前から厳しい寒さが続きましたが、この日はやや温かい秋晴の一日となり、早くから大勢様がお出ましになりました。
なお他の四席は次のとおりでした。
第二席 臨春閣住之江の間
裏千家淡交会 横浜支部 様
第三席 臨春閣天楽の間
武者小路千家神奈川官休会 様
第四 月華殿
表千家同門会神奈川県支部 様
第五席 鶴翔閣(立礼席)
遠州茶道宗家家元 小堀宗実 様
お席が設けられた〈白雲邸〉は大正九年に建てられた原三溪の隠居所。内苑入口の御門をくぐってすぐ右にあるL字型の数寄屋風建築は横浜市有形文化財の指定を受けております。広い玄関を抜け、椅子席である談話室がこの日の寄付に。やがて御案内を受け、中庭越しに三溪園のシンボルである重要文化財「旧燈明寺三重塔」を眺めつつ席入しますと三溪筆の扁額
「白雲長随君(はくうんとこしえにきみにしたごう)」が掛かっておりました。
お席では若宗匠がお点前をされ、半東は峯雪先生がお務めに。当日のお道具組の詳細については下記のお会記を御覧いただきたいと存じますが、ご流祖所縁の道具を揃えながら、秋の武蔵野の風情を醸し出す御趣向となっておりました。
床の御軸はご流祖筆「狸の画讃」
時雨るやちちとも言わぬ濡れ狸
時雨に遭ったため自慢の腹鼓が思うように鳴らずシュンとした狸を詠んだユーモラスな俳句。画とも相俟って誠に心が和んでくる御軸であります。因みに〝ちちとも〟の「ち」とは鼓などの邦楽器で高音(甲(かん))の小さな音を表す符号のようなもの。
備前・尹部焼の筒型花入にお
花は加茂本阿弥と沼酢木(ヌマスノキ)の照葉。「ヌマス」とは聞き慣れぬ名でしたが、これはブルーベリーの和名。
釜は西村家四代道爺作の繰口釜。所謂「ててどうや」らしい荒目の膚を持つどっしりとした釜です。また黒柿の炉縁は面取した所にのみ青海波蒔絵の施してある凝った作。真塗の高麗卓に深い藍色が映える水指はご流祖好の辻焼。辻焼は他の御流儀の方々にはあまりお馴染みではないらしく、三川内焼(平戸焼)の一種で今日では有田焼に含まれるという御説明を熱心に聴き入っておられました。
主茶盌は豪快な作の多いご流祖手造茶盌の内でも特に重いという「雁ノ画」の赤樂。替茶盌は樂四代一入作の黒樂でご流祖の箱書には銘「トン栗」とありますが、無論これは団栗のこと。こちらと優美な啐啄斎作の茶杓、銘「武蔵野」が並びますと、いかにも晩秋の季節感が伝わってまいります。
五流派の合同茶会ということもあって、他の御流儀の方々も多数お席入されましたが、ご流祖作のお茶盌の大きさと重さに驚かれたり、秋草蒔絵の水注の大内薬罐拝見の御所望があったりと、お客様方の御質問も多くお話も弾んだ明るいお席となっておりました。
会 記
第一席 白雲邸
主 江戸千家宗家
家元 川上閑雪
床 流祖筆 狸 画讃
時雨るやちちとも言わぬ濡れ狸
花 加茂本阿弥 沼酢木の照葉
花入 尹部 筒
香合 織部 五角
風炉 道爺 繰口
風炉先 砂子
炉 縁 黒柿 青海波蒔絵
水指 流祖好 辻焼丸紋末広形
茶器 一元斎好
面中次雪輪蒔絵 共箱
茶碗 流祖手造 赤 雁ノ画 共箱
替 一入 黒 銘 トン栗 流祖箱
茶杓 啐啄斎 銘 武蔵野 共箱
建水 砂張
蓋置 萩 大燈紋
御茶 松の齢 味岡松華園詰
菓子 初霜 半田松華堂製
器 青磁和花鉢 川瀬忍作
以上
(「孤峰―江戸千家の茶道」平成30年1月号より)