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2018年4月29日 川上不白師 米寿祝賀会

2018年09月27日(木)
毎年四月二十九日の「昭和の日」に開かれております不白会東京支部大会ですが、本年は東京支部が創立七十周年、東京支部青年部も三十五周年を迎えたことから、記念の「大茶会」が芝の東京美術倶楽部にて開かれました。当日は誠に爽やかな快晴にも恵まれ、全国から例年以上に多くの方々が美術倶楽部にご参集になりました。
また同じ日の夕刻からは、東京支部七十周年記念のお祝いも兼ねた、お家元の「米寿祝賀会」が帝国ホテルにおいて開催され、こちらにも大勢様がご出席されました。

お家元の「米寿祝賀会」は同日の夕刻より帝国ホテル〈孔雀東の間〉にて催され、約300名様がご出席になった盛大な祝宴となりました。
定刻の五時三十分、司会の御案内を受け、万雷の拍手のなかお家元、翠鶴先生、若宗匠、峯雪先生、智大様が揃ってご入場になり、お家元と翠鶴先生はそのまま壇上に設けられた席に着座され祝賀会の開宴となりました。
はじめに主催者を代表して東京支部長である翠鶴先生より御挨拶があり、本日の記念大茶会への御礼とともに祝宴開催にあたってのお気持ちを述べられました。
続いて御来賓を代表して元衆議院議員で弁護士の浜田卓二郎様が御登壇になり、長年にわたるお家元との交誼に触れながら、ひとつの道を極めようとする真摯な御姿に感銘を受けているとの御言葉に大きな拍手が湧き起こりました。
次に御社中を代表して埼玉支部長・塚田宗静様が祝辞を述べられましたが、お家元との思い出を紹介されながら、その御功績の大きさを讃えられ、さらに末永い御流儀の弥栄を祈念されて御挨拶を結ばれました。
次いでお祝いの乾杯へと移り、乾杯の音頭を取られた那須屋代表取締役の野口眞一様の「おめでとうございます」との御発声にあわせて、出席者全員が杯をあげ、お家元の米寿と東京支部七十周年、青年部三十五周年を寿ぎました。
ここからは暫しお食事を頂きながらの歓談の時間に入りましたが、やがて御流儀の祝宴では吉例であります、本誌連載でもお馴染み、上田支部長・小宮山宗輝様による日本舞踊の御披露となります。今回の演目は長唄『鶴亀』の〈千代のためし〉より踊って下さいました。『鶴亀』は長唄の祝儀曲の中でも特に清々しく厳かな一曲。また〈千代のためし〉とは曲の半ば二上り(転調)となってからの詞章が〝千代のためしの数々に 何をひかまし姫小松〟と始まることを意味しており、詞章、曲調ともにここからより祝宴に相応しくなってゆきます。いつもながら処々に柔らかさを残しながらも祝儀曲らしくカッチリを踊り込まれた見事な小宮山様の踊りに盛大な拍手が贈られておりました。
続いて登場されたのは日本を代表する民謡歌手である大塚文雄様。TVCMで流れた歌声を記憶されている方も多いことと思いますが、今年で喜寿とは思えぬその美声に会場内の皆様も聞き惚れておられました。最初に歌われたのが宮城民謡「さんさ時雨」。続いて代表曲のご存じ「会津磐梯山」をたっぷりと。ここでご子息の大塚裕之様により津軽三味線の曲弾きが披露され、再び大塚文雄さんが登壇、生まれ故郷山形の「最上川舟歌」、そして「東京音頭」と故郷の「花笠音頭」を披露されますと場内も大いに盛り上がり、民謡の世界を堪能いたしました。
祝電の御披露を挟んで場内が落ちついたところで、改めてお家元、翠鶴先生そして智大様が御登壇になり、まず智大様よりお家元へお祝いの花束が贈呈され、ここでお家元がご用意なったという別の花束がお家元から翠鶴先生に感謝の意を籠めて贈られるサプライズに御一同様も驚き、次いで主催者を代表して翠鶴先生からお家元に記念品が手渡されますと、会場内が実に温かな雰囲気に包まれてゆきました。
ここでいよいよお家元が御礼の御挨拶を述べられました。まずは本日御礼の言葉から始まり、七十年前に思いを馳せられ、最初の大会は上野の東京国立博物館内の「応挙館」と「九條館」をそれぞれ仕切った四席から東京支部は始まったとのこと。またお家元はちょうど今の智大様と同じ年頃であったとも。そして宗鶴師からの御稽古と、一元斎宗匠が数多く書き残された書物によって、江戸千家の伝承を学んだと述べられました。さらに、今は教える立場になったとはいえ「すべては自分への御稽古」という若い気持ちで、これからはもっと厳しい御稽古に励みたいときっぱりと宣言されてから、「幸い智大も後を継いてくれると言ってくれておりますから」と笑顔でお話になりますと、場内からはこの日一番の拍手が起こりました。そして最後に翠鶴先生に感謝の言葉を贈られて御挨拶を結ばれました。
こうして祝宴もお開きの時刻に。若宗匠がご登壇になり、はじめにご出席の皆様方への御礼、そして祝賀会開催の音頭取りをして下さった不白会役員の方々への謝辞を述べられたうえで、七十年の歴史を振り返られ、江戸千家のこれからについて、そしてより一層の精進を誓われたうえで、最後に『不白筆記』の一節を引用されて閉会の辞とし「米寿祝賀会」を締め括られました。
なお宴がお開きとなった後、御宗家の皆様は出口に並ばれ、退出されるお一人ずつに御礼とともに記念品としてお家元御直筆の色紙を手渡されておりましたが、そのご準備のために注がれた大変な時間と労力を思えば、お家元の強く優しいお人柄にひたすら感動するばかりであった祝賀の一日でした。

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