毎年三月と七月に開かれております「不白会東京支部特別会員研究会」でございますが、今回は一昨年七月以来の「バス旅行」となりました。目的地は房総半島。外房と半島内陸部を結ぶ〈いすみ鉄道〉に乗り、沿線名所の散策を楽しむのが目的ながら「何故〈いすみ鉄道〉?」との御不審はご尤もなこと。
〈いすみ鉄道〉は千葉県の第三セクターの鉄道会社ですが、実は昨年の十一月、不白会香川支部の古竹孝雪(孝一)様が代表取締役に就任されました。古竹様には毎年「善通寺御供茶式」で当編集部も大変お世話になっておりましたから、「何故高松の古竹サンが千葉に」と心底驚かされました。お訊きしたところ〝社長公募〟に応募されたそうで、『日経新聞』の記事によると「公募には、県内外の40人が応募。一次の書類審査で5人に絞り込み、役員らによる面接で」古竹様に決定したとのこと。「交通にかかわる事業での経営手腕や人脈を評価した」とも記事にありましたが、現在、地方ローカル鉄道の運営が難しいのは皆様ご存じの通り。その経営改善を託されて、単身四国から乗り込んで社長職を勤めるのは相当の勇気と覚悟があることでしょう。御宗家におかれましても、そんな想いに応えられるように今回の旅行を企画されたのではないかと拝察しております。
三月十九日(火)は快晴、最高気温も18度と心地よい春の一日でありました。まずは朝8時、東京駅前の新丸ビル前に横付けされた大型バスに皆さんご参集に。早速に古竹様が笑顔で出迎えて下さいました。やがてお家元、翠鶴先生、若宗匠、峯雪先生、智大様がご乗車になり、お家元と翠鶴先生より御言葉をいただいて8時20分に出発。バスは朝の銀座を抜けて汐留から首都高速に乗り一路千葉方面へ。川崎経由で東京湾アクアラインに入って、途中海ほたるPAで休憩し、木更津から房総半島に。市原鶴舞ICで圏央道を降りて大多喜街道を進み、千葉県夷隅郡大多喜町に入って、いすみ鉄道・大多喜駅に到着いたしました。ちなみにいすみ鉄道本社はこの駅に隣接しております。
道中の処々で目に入りましたが、この時季ご当地は菜の花が真っ盛り。菜の花列車はいすみ鉄道の名物でもあり、当日の特別列車「江戸千家号」(と切符に記されておりました)も沿線に咲き誇る菜の花の中をのんびりと進んで行きました。
10時40分、二両編成の「江戸千家号」は大多喜駅を出発しJR外房線と接続する大原駅へ向かいます。大原の漁港は全国有数の漁獲量を誇る伊勢海老の産地。よって昼食は車内で地元の名物伊勢海老づくし弁当を美味しく頂戴いたしました。車窓の菜の花を楽しみつつ、少しだけビールも頂き、誠に気持ちの良い時間が過ぎてゆきます。
なお、いすみ鉄道は非電化路線ですので、電車ではなく車両は気動車(ディーゼルカー)。しかもこの日の特別列車は、黄色の通常運行車両ではなく、旧国鉄色の塗装も懐かしいキハ28(昭和39年製)とキハ52(昭和40年製)の二両仕立て。どちらも今日では貴重な車両で、全国的にも現役気動車としては一番古いのではないかと。鉄道ファンならずとも貴重な乗車体験ができました。
終点の大原駅に到着。暫時休憩し折り返し運転で再び大多喜駅へ向かいます。無論戻りもまたのんびりと。
大多喜駅前の「観光本陣」というお店で皆様はお土産物を購入。大多喜は二万石の城下町で和菓子、それも最中が名物だと聞きましたが、なんとこちらのお殿様はご流祖の門人でありました。
駅から次の目的地である大多喜城への車中で、若宗匠が作成された資料が配布され、大多喜藩主とご流祖との関係をお話し下さいました。そもそも大多喜藩は徳川家康四天王のひとり本多忠勝から始まります。しかしその後、藩主家がたびたび変転。元禄十六年に松平(長澤・大河内)正久が相模国甘縄より転封されようやく藩主が安定し、この正久を初代として以後明治維新まで九代にわたり大河内松平家の治政が続きました。
御流儀との関係でいえば、四代藩主正升(まさのり)と五代藩主正路(まさみち)がご流祖の門人だったようで、特に正路は『茶人家譜』(ご流祖の門人帳)にその名が記されているそうです。また、『不白翁句集』には次のような記述が。
天府君にいさなはれ 上つふさなる大多喜にまかり 猪狩をみて
浪うつてよせ来る勢子や花薄
終日狩くらして各獲したる猪鹿狐兎の類提げ 太守の御覧に入んと五角山いへる山神の社の前へならへ立たるさまけに物々しく 冨士野 小金の御狩の事々かりし是にそ思ひあはせらる 其獲結付たる竹を乞て茶杓に削り 猪の牙と名つけて宗雪に土産にす
荒猪の牙もなこめつ草の露
冒頭の「天府」は天然の庫の意。転じて(天然の庫は尽きることがないので)学識が深いことを指すようになります。つまり学識深い殿様に誘われて、ご流祖は上総国大多喜にて猪狩を御覧に。そして獲物が提げられていた竹を茶杓に削って「猪の牙」と命銘し、これを土産とした、という内容のようです。いかにもご流祖とお殿様との親密さが伝わってまいりますが、そんなご当地大多喜と江戸千家との思いがけない御縁を、若宗匠が分かりやすく御解説して下さいました。
バスはその居城大多喜城に到着。現在のお城は昭和50年竣工の再現天守閣で、内部は県立中央博物館大多喜城分館となっており、地域の歴史を物語る種々の資料や遺物が展示されております。天守最上層まで昇りきりますと、周囲は少し春霞のかかった長閑な風景。房総の春を満喫できました。
バスはここから紅葉で有名な養老渓谷に向かいましたが、途中「総元(ふさもと)」という駅で一旦休憩。実はここは撮影スポットなのでという古竹様の御配慮があり、巻頭グラビアの線路と菜の花の図はこちらで撮影した写真です。皆さんもスマホで盛んに記念写真を撮られておりました。線路の両岸に延々と続く菜の花の眺めは圧巻でしたが、あと二週間もすればこれに満開の桜が加わると聞いてさらに吃驚。後日ネット上で検索してみますと、この辺りで撮影したと思しき「桜と菜の花といすみ鉄道」という写真が出るわ出るわ。来年は是非この光景を撮るためだけに乗車しようと意気込んでいる次第です。
養老渓谷温泉の「瀧見荘」に入り、デザートを頂き休息。ここからは皆さん三々五々養老渓谷の散策となりましたが、目の前の急傾斜の階段を降りると、そこには「粟又(あわまた)の瀧」が。この瀧は大多喜町公式HPによりますと「房総一を誇る名瀑布です。100㍍にわたって滑り台のようなゆるやかな岩肌を流れ落ちるこの滝は、幻想的な美しさで人々を魅了します」とのこと。しかし現在は渇水期にあたるのか水量が少なかったのが実に残念で、「川面を秋風が渡る頃、渓谷は紅葉で赤く色付」くそうですから、こちらは秋に訪れたいものです。
古竹社長とは近いうちの再会を期してここでお別れ。「瀧見荘」を出発し往路と同じルートに。途中海ほたるPAを経て東京駅に到着したのが夕刻6時半。余裕をもったスケジュールでしたので、皆さんリラックス、リフレッシュされたことと存じます。三月は年度末故バダバタと動き回る日々ですが、この日ばかりは心身とも力を抜いて過ごせ感謝するばかりです。以上、〈房総バス旅行〉道中記でございました。