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2019年3月10日 東京茶道会茶会(三月)

2019年06月28日(金)
月の「東京茶道会茶会」は十日(日)に護国寺において開かれ、江戸千家からは川上宗悦様が〈牡丹の間〉にてお席主を務められました。
生憎の曇り空。朝方こそやや肌寒さが残っておりましたが、十日前の「利休忌」とは気温が十度ほど違い、多くのお客様方がお出ましになりました。またこの日の〈牡丹の間〉は三月のお茶席らしく釣り釜となっておりましたので、いかにも春の到来が実感出来る一日になりました。
床の御軸は津田(天王寺屋)宗及の子にして大徳寺一五六世江月宗玩筆の一行「山治績峯濃」。「欠伸子」とはその号です。古銅の花入にお花は紅唐子椿と木五倍子。紅唐子は別名日光(ジッコウ)椿と呼ばれ、対して花芯が白いのが月光(ガッコウ)椿または卜伴(ボクハン)椿と呼ばれております。重みのある椿が時代の古銅花入と釣り合っておりました。堆黒の香合も珍しく、緻密な彫刻からかなりの時代を経たものと拝察。お客様方も興味深く御覧なっておりました。また脇床には能「熊野(ゆや)」の舞扇が飾られておりましたが、お席主川上様の御父上は先代梅若六郎(三世梅若実)の御門弟であったと承りちょっと吃驚。御所車に松と桜の画柄がお席に華やぎを加えております。
先述の通りこの日は釣り釜の設え。鬼面鐶付のやや小振りなお釜はその端正な佇まいが印象的。当日飾って下さった大西家十三代浄長の極箱書には「日ノ丸釜」とあり、「天保年時代了保作」とも。了保とは奥平了保。大西九代浄元の子で十代浄雪の弟であり名人と呼ばれております。
こちらに合わせた炉縁がまた見事なもので、朱漆の地に錆絵で老松を巌が描かれ、さらに巌には青貝が象嵌されている誠に重厚感溢れる凝った作。しばし時間をかけて拝見させていただきました。
溜塗の紹鷗水指棚には江戸中期の作という古瀬戸の水指がよく映え、茶器は朱塗蒔絵の平棗で一后一兆作。丹頂鶴の蒔絵が実に緻密にして華麗に描かれており、こちらも目を惹く逸品でした。
主茶盌は絵御本。ご流祖の箱書には銘「芳寿」と。替茶盌は朝日焼の刷毛目。こちらは若宗匠の手造で銘は「山里」。通常よりやや白釉が強く明るい作。また御茶がとても点てやすく飲みやすいのが若宗匠手造らしいと好評でありました。
お客様方から驚きの声があがったのが茶杓でなんと鹿の角。江戸初期に象牙の輸入が途絶えた時にその代用として鹿の角を材に作られたとのこと。茶の湯は初期こそ中国渡来の象牙製薬匙が使われたが、桃山期には竹茶杓が主流になったと教わっておりましたので、江戸初期でもまだ象牙(または鹿の角)茶杓の需要があったとは知りませんでした。単に〝時代の〟という表現だけでは伝えきれない歴史の重みを感じさせられたお茶杓であります。
荒川豊蔵による粉引の菓子器が梅の絵や文字を散らし書きしたモダンな図柄なのも面白く、その他のお道具組の詳細は下記のお会記をご参照いただくとして、時代を経て重厚感漂うお道具を中心に据えつつ、随所に春らしい華やかな作を配した巧みなお取り合わせが堪能できた〈牡丹の間〉のお席でありました。
〈会記〉
平成三十年三月十日
東京茶道会茶会
於 音羽護国寺 牡丹の間
主 川上宗悦
床 江月宗玩筆
山治績峯濃
花  紅唐子椿 木五倍子
花入 古銅 時代
香合 堆黒 時代
釜  日の丸 了保造
大西清右衛門極
弦金銀象嵌
風炉先 四ツ折
棚  紹鷗水指
炉縁 老松錆絵青貝入 実 作
水指 古瀬戸 時代 文平造
茶器 朱塗蒔絵 一兆作
茶碗 絵御本 流祖箱
銘 芳寿
替 刷毛目 紹雪造 箱
銘 山里
茶杓 鹿の角 時代
建水 信楽 紫峰造
蓋置 五徳 五良三郎造
御茶 寿泉の白 ほ里つ詰
菓子 春うらら 松華堂製
器 粉引 豊蔵造
以上

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