昨年は大徳寺・聚光院様で開かれた御宗家「孤峰忌」でしたが、本年は例年通り十一月四日に江戸千家会館にて行われました。
この日は振替休日。また秋らしい快晴に恵まれましたので、会館三階の大広間には大勢様がご参集になり、ご法要開始をお待ちになっておりました。
午前十時、お家元、翠鶴先生、若宗匠、峯雪先生が着座され、続いて菩提寺・安立寺御住職様、副住職様がお入りになり「第二百十三遠忌」の御法要が始まりました。
正面には宙宝和尚筆「南無妙法蓮華経」の御軸、ご流祖の御像には竹三ツ具足に白菊。いずれも例年通りのお取り合わせであります。
御住職様による読経が進むうちに、今年も若宗匠が進み出られて御供茶点前を始められます。半東は峯雪先生がお務めに。やがて若宗匠が点てられた御茶は峯雪先生によって御像に供えられ拝礼。次いで若宗匠も御像に拝礼されますと、御参列の皆様もこれに合わせられます。
このあとも読経は続き、御題目の声と木鉦の音に大広間が満たされてゆきます。やがて御住職様、副住職様がご退出になりますとお家元が皆様方へ参列の御礼を述べられ、さらにお席の御案内もいただき、本年の御法要も滞りなく終了いたしました。
お茶席は本年も三席。
第一席 薄茶席〈三階広間〉
第二席 濃茶席〈担雪軒〉
第三席 洞庫席〈不式庵〉
そして三階奥の間がいつものように三友居調進〈点心席〉となっておりました。
まずは第三席〈不式庵〉について。お家元のお点前を間近で拝見できるのを、多くの方々が楽しみにされている洞庫席であります。
床にはご流祖筆「富士の画讃」
支那四百
不聞有
冨士峰別
不語山
その意味するところは、山は数多くあるが富士は別格であり、富士を知らずして山を語るな、ということであるとお教えいただきました。お花は嵯峨菊に令法(りょうぶ)の照葉。香合は宋胡録の柿。
お釜はねっとりした膚が印象的な寒雉作の丸釜。炉縁は四種の寄木。水指は一元斎箱書、ご流祖手造の「冬瓜写」。本歌の「冬瓜」水指にまつわる如心斎宗匠とご流祖との逸話を、お家元が小間の〈不式庵〉にて語り掛けて下さいますと、より胸に染み入ってくるように感じられました。茶器は深い朱色が美しい根来塗の薬器。
主茶盌は一元斎手造の三朝焼で、胴には次の一句が。
山ひとつ越えて里あり小夜砧
一方、替茶盌は樂家九代了入による三島の呼び継ぎ。金の継ぎ目が見事な景色になっており、宗鶴師が好まれたお茶盌だとお聞きしました。茶杓はご流祖作、銘「冬嶺」。菓子は〈不式庵〉恒例の半田松華園製の「孤峰」。
小間ゆえにお家元とお客様方との親密さが伝わってくるお席でありました。
第二席〈担雪軒〉は濃茶席。こちらでは若宗匠がお点前をされました。
床の御軸は珍しい四文字の一行でご流祖筆「諸法実相」。「蓮華坊不白」とあるのもまた珍しいとのこと。なお「諸法実相」とは仏教における根本的教義の一つで、宗派によって解釈は一様ではありませんが、〝あらゆる事物・現象がそのまま真実の姿である〟ということを示しているのだそうです。お花は加茂本阿弥に燈台躑躅(どうだんつつじ)。花入はご流祖箱書が添う啐啄斎作の竹一重で銘「芦葉」。御銘の意味は単なる芦の葉っぱではなく、達磨大師の故事からの由来。達磨が梁の武帝に法を説こうとするも意が通じず、そこを離れて揚子江を北上し洛陽を目指した時、一葉の芦に乗って渡ったとの伝説があり、古来より多くの画人に好まれてきた画題であります。ちなみに寄付に掛けられた色紙は上野道善猊下筆の「不識」でしたが、武帝が達磨大師に仏教の本義を尋ねた時の返答が「不識(しらぬ)」。若宗匠による凝ったお取り合せでありました。香合も手間のかかった逸品で、光の反射具合から金属製かとおもいきや実は焼き物。形は東大寺の礎石を模しており、蓋裏に金箔、さらにその上には茶褐色の紙片が張り付けられ、紙には「薬」のひと文字が。この紙が驚きで、なんと東大寺に伝わる古経文から切り取られたもの。紙の変色具合と風韻ある書体からかなりの時代が感じられました。
お釜は道弥作の繰口釜。炉縁は宗哲の真塗。同じく真塗の高麗卓には豊平良彦作、華やかな紅葉蒔絵の茶器とすっきりした色合いの天龍寺青磁の水指。この水指は香炉で、共蓋の珠取り獅子の口から煙が出る仕組みになっておりますが、高麗卓と違和感がないところが見事でありました。ご流祖の箱書に銘「片時雨」とある茶入は瀬戸渋紙手。
お茶盌は高麗粉引。大亀老師の箱書には銘「維摩詰(ゆいまきつ )」とありました。維摩詰(維摩居士)とは釈迦の在家の弟子。有名な経典「維摩経」は維摩詰が主人公となった物語。やや薄作ながら落ち着いた色合とフォルムが濃茶席に合っておりました。茶杓はご流祖作。歌銘で共筒には自詠と思われる和歌が
削つりおく竹の茶杓のかひさき(櫂先)は
我がうき乃世をすくひ給へや
少しねじれた形がご流祖作としては珍しい茶杓なのだそうです。
蓋置もまた珍しく山口浄雄作の御玄猪(おげんちょ)。そもそも「御玄猪」とは宮中で陰暦十月の亥の日の亥の刻に、新穀で搗いた餅(猪子餅)を食べて祝う行事で、池坊専明がここで用いられる丸三宝を象った薄端(うすばた)の花器に「御玄猪」と命銘。御玄猪蓋置もこれを模したものとのこと。時季的に毎年炉開きにあたる「孤峰忌」。本来炉開きは陰暦十月の一日または中の亥の日、しかも今年は亥年でご流祖も亥年のお生まれですから、小さな蓋置一つに様々な想いが籠められていることに感動いたしました。
御茶はお好みの「千代の昔」松華園詰。菓子は例年通り鶴屋八幡製「紅葉きんとん」。
第一席〈広間〉では薄茶席らしく、くだけた和やかな雰囲気の中で御茶を頂きました。
床には例年通りならばご流祖筆の三幅対が掛けられますが、本年は根津美術館での「江戸の茶の湯展」のため貸出中。よって今回は次のご流祖筆双幅が掛けられました。
因縁生法即是空
(因縁は法に生じて即ちこれ空)
亦名假又是中道
(また名は仮りにして又これ中道)
意味どころか読みも分かりませんでしたが、困った時の小宮山先生頼みで、読み方とともにこれは天台の教えであるとお教えいただきました。この場を借りまして小宮山宗輝様に御礼を申し上げます。
御供茶で用いられた真の台子にご流祖好、高木治良兵衛作の唐銅皆具という設えは孤峰忌〈広間〉の恒例。茶器はご流祖好の雪輪蒔絵の大棗。主茶盌はご流祖作の赤樂で銘「浦の苫屋」。十字高台の替茶盌は高麗堅手。少し歪んだ造形が面白く、青味がかった艶やかな白地が赤樂の主茶盌と好対照でした。茶杓はご流祖作の銘「拂子」。御菓子も〈広間〉恒例の「孤峰餅」でこちらは赤坂・塩野製。
二年ぶり、御宗家での「孤峰忌」でありましたが、ご流祖の遺徳を偲ぶという趣旨に対して、実に様々なアプローチの仕方があるものだと本年の三席では強く感じられました。この幅広さこそがご流祖、そして江戸千家の魅力であると確信した〝生誕三百年〟の「孤峰忌」でありました。