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2017年6月14日 総本山善通寺 弘法大師御誕生会法要 御供花御供茶式・記念茶会

2018年04月20日(金)

香川県善通寺市、総本山善通寺様「弘法大師御誕生会法要」におけるお家元の御供茶勤仕が今年も六月十四日に執り行われました。また例年通り、東大寺御長老上野道善猊下、総国分尼寺法華寺御流家元樋口教香御住職様御出座のもと、法華寺御流の皆様による御供花御奉仕も同時に行われ、善通寺境内西院(誕生院)の「御影堂」には大勢様がご参集になりました。
当日は恒例の「記念茶会」も開かれ、〈拝服席〉はお家元が席主を、また〈副席〉では江戸千家四国青年有志の方々が席持をされました。
御供花御供茶式
お家元の「誕生会法要」での勤仕は平成二十四年から始まり今年で六回目。毎年入梅中にもかかわらず晴天に恵まれるこの御法要ですが、今年も有難いほどの快晴。しかも湿度もあまりないようで、最高気温が27℃だったとは思えぬほど爽やかな気候でした。
十二時三十分よりの御法話を拝聴しておりますと、「記念茶会」の開かれております「いろは会館」より続々と皆さんが堂内へ移ってこられます。これに一般の御参詣者も加わり、御式開始直前には「御影堂」内は御参列の方々でいっぱいになりました。
午後一時、僧侶方が御入堂になり内陣へ上がりその左右に着座、続いて本日の御導師様が入られ宝塔前に座されますと程なく読経が始まります。間を置かず、いつものように御本尊に対し内陣右側では法華寺御流の方々が、左側ではお家元と若宗匠が進み出られて、御供花、御供茶勤仕を始められました。今年も樋口教香尼公様と上野道善猊下がそれぞれ御後見下さいました。
まず御供花の檜葉立華一対が御宝前に供えられ、続いてお家元が点てられた濃茶、薄茶の二碗を若宗匠が静かにお運びになり、御宝前近くに控えておられる僧侶の方へ手渡され、二碗がそれぞれがお供えされました。
お点前を終えられたお家元が進み出られて、御参列の御一同様とともに頭を下げ合掌され座に戻られます。この後も読経は続きゆったりとした時間が流れてゆきますが、やがて御導師様、僧侶方が御退出になって御法要は終了。御案内を受け、特別に奥殿近くにまで立ち入っての御焼香が出来ましたので、多くの御参列の方々とともにお家元は翠鶴先生と御一緒に改めて御本尊に丁寧に手を合わせておられました。こうして本年も「御供花御供茶式」が無事終了いたしました。
記念茶会
恒例の「記念茶会」は、例年通り当日の午前十時から境内の宿坊「いろは会館」にて開かれました。
本年のお席は次の通りです。
〈拝服席〉三階 蝸庵
蓮華庵 川上閑雪
〈副席〉三階 大広間
江戸千家四国青年有志
〈点心席〉一階 食堂
料亭二蝶 調進
〈拝服席〉は宿坊の三階「蝸庵」でのお家元席。本年は薄茶席となりましたが、若宗匠が終日お点前を務められました。
寄付には復古大和絵の第一人者にしてお家元の絵の師匠でもある森村宜永師筆の「養老孝子」が掛けられておりましたが、瑞々しい画題から涼やかさが伝わってまいります。なお「養老孝子」のモチーフについては本号の「文様十二ヶ月」でも取り上げられておりますのでご参照下さい。
続いてお席入りしてまずは脇床へ。こちらにも宜永師筆の河原撫子の絵が掛かり、題は「常夏」。この絵とともに飾られたのが、お家元の初勤仕にあたり善通寺管長・樫原禅澄猊下より賜ったお好みの裂(善通寺様にゆかりある三雀紋)にて調えられたという袱紗とその箱書。これによってお客様方も今年で六回目なると確認されておりました。
お道具組は基本的には四日前の「不白敬和会」のものを踏襲されており、床の御軸もご流祖筆「雨の画讃」〝雨近き(起) 野沢の月や 鳴く蛙〟。但し同じ字句ながらこの日の御軸は横物の画讃であります。魚籠型の鵜籠には翠鶴先生により夏椿(沙羅双樹)と松本仙翁が大きく生けられ、香合も涼しげな青貝の蟹。
下間庄兵衛作の芦屋切合風炉は総霰の真形で撮みは梔子。桐木地の雪輪棚に水指は明代末の三ツ脚太鼓型の染付というこの時季らしいお取合せです。「鳴門の渦潮」に因んで茶器は松亭作渦蒔絵の平棗を用いられたとのこと。主茶盌は平の斗々屋で銘「岩清水」。替茶盌は鵜飼画の献上薩摩。そして数茶盌が口縁の広がった京焼の狂言袴と、いずれも夏のお席に相応しいお茶盌でありました。茶杓はご流祖作の銘「孔雀」。高取焼の建水、蓋置はこちらも蟹が象られた胡銅。御菓子はご当地高松の冨久ろ屋製「紫陽花きんとん」。
〈副席〉は、三階「大広間」での〝江戸千家四国青年有志〟席。この日は高知支部青年部の山本様がご亭主役を務められましたが、各支部青年部にて御稽古を重ねておられる方々が結集された意欲的で充実したお席でありました。
まず寄付では「九十四 玄峰」とある円相が眼に入りますが、著名な山本玄峰老師の筆とお聞きし驚きました。玄峰老師といえば三島市・龍沢寺の御住職を長く勤められたと記憶しておりましたが、仏門修行を始められたのが高知市の雪蹊寺であったことから四国とも御縁があるとのでございました。
本席の床はお大師様が室戸岬で修行されている様子が描かれた大きな墨絵に、御軸は高野山金剛峯寺四〇四世座主・亀山弘應師筆の「浄心」。唐物の魚籠花入には蛍袋や吾亦紅などがたっぷりと。一閑張の亀香合は 四代一閑の作で表千家六代覚々斎宗匠の箱書。
その他、当日のお道具組の詳細につきましては文末掲載のお会記をご参照いただきたいと存じますが、前田家伝来という菊水地紋の肩衝風炉釜は三条釜座・西村家四代道爺の作に江戸名越家十代昌晴の極が添った見事なお釜。加えて風炉先も趣きあるもので、富士の画に「東海天」と記されたのは大徳寺第五〇六世雪窓老師。因みに「東海天」とは石川丈山作の有名な漢詩『富士山』の一節であるとお教えいただきました。
仙客來遊雲外巓
神龍栖老洞中淵
雪如紈素煙如柄
白扇倒懸東海天
※【紈素】白く美しい練絹
茶器の腰張棗もまた他所ではなかなか拝見できないと思われる木彫彩漆の「白鷺柳水」。作者は讃岐漆芸の流れをくむ名工篠原如雪。まさしくご当地ならでは逸品でした。
主茶盌は樂家四代一入作の黒樂、銘「下紅葉」。こちらは歌銘だそうでお会記に記載された〝松平甲斐守保光侯御筆〟の箱書が、「一入黒」と大きく書かれた如心斎宗匠の箱書とともに飾られておりました。なお松平(柳沢)保光は大和郡山藩三代藩主で号は尭山。松平不昧とも親交のあった茶人ですが、京より陶工を招いて赤膚焼を復興したことでも知られております。
また替茶盌が土佐高知藩九代藩主山内土佐守豊雍(とよちか)手造の赤樂と聞けば驚かれる方も多いはず。本誌連載「不白の門人たち」でも紹介されましたように、豊雍侯はご流祖の有力門人のおひとりで、高知に江戸千家の御茶が広まったのも豊雍侯の御尽力によるものとお教えいただき、このお茶盌から四国と御流儀との所縁の深さが強く感じられました。
その他お家元、翠鶴先生、若宗匠が以前高知尾戸焼にて造られたお茶盌など多種多様なお茶碗を楽しく拝見。さらに茶杓はお会記記載のとおり江岑宗左作、真伯宗守箱、碌々斎外箱、住山楊甫箱の銘「こし簑」。こちらも貴重なお茶杓であろうと拝察いたしました。
いずれを見てもため息が出るほど見事なお道具組にただただ感嘆するばかりであった今年の「記念
茶会」でありました。
〈副席のお会記〉
平成二十九年六月十四日
善通寺 弘法大師御誕生会法要
記念茶会 副席
江戸千家四国青年有志
寄付
床 円相 山本玄峰筆
本席
床 浄心 
金剛峯寺四〇四世 亀山弘應筆
花  撫子 吾亦紅 蛍袋
松本仙翁 破れ傘ほか
花入 唐物 魚籠
香合 一閑張 亀香合 覚々斎箱
風炉釜 肩衝風炉釜 菊水地紋
四代道爺造 十代名越昌晴極
風炉先 富士の絵 東海天
雪窓老師筆
水指 伊賀 四方 一元斎箱
茶器 白鷺柳水 腰張棗
篠原如雪造
茶碗 黒 一入造 如心斎箱
松平甲斐守保光侯御筆 下紅葉
下紅葉 秋もこなくに 色つくは
照る夏の日 こかれたるかも
茶杓 江岑作 銘 こし簑
真伯宗守箱 碌々斎外箱
住山楊甫箱
建水 尾戸
蓋置 つくね
十五代坂倉新兵衛造
御茶 深雪の白 小山園詰
菓子 夏衣 山本製
器 能茶山染付花文小皿
以上
(「孤峰―江戸千家の茶道」平成29年8月号より)

僧侶方の御入堂
御供茶点前をされるお家元
御供茶を御宝前へ運ばれる若宗匠
〈拝服席〉正客に上野道善猊下をお迎えしてお点前をされる若宗匠
〈拝服席〉正客に上野道善猊下をお迎えしてお点前をされる若宗匠
〈副席〉は江戸千家四国青年有志のお席
〈副席〉お茶碗を御覧になるお家元と翠鶴先生
〈副席〉「白鷺柳水」の棗を御覧になる若宗匠
〈副席〉の床

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